ヒグチアイ、親と子の関係の中で芽生えた思い 幸せのために必要な心地よい距離感

ヒグチアイが考える心地よい距離感

 昨年、ベストアルバム『樋口愛』をリリースしたシンガーソングライター、ヒグチアイの新曲「縁」(読み方:ゆかり)が、4月16日より配信リリースされる。この曲は、ラジオパーソナリティやコラムニスト、作詞家など様々な顔を持つジェーン・スーの著書『生きるとか死ぬとか父親とか』が原作の同名ドラマのエンディングテーマとして書き下ろされたもの。「父と娘」がメインテーマの原作にインスパイアされた楽曲だが、聴く人によっては恋人や友人との関係性を謳っているようにも聞こえる。長年連れ添ってきたからこその「愛憎」を、ヒグチらしい毒気とユーモアで綴った歌詞が印象的。ギターやバイオリン、チェロなど弦楽器をフィーチャーしたカントリー&ウェスタン風味のアレンジも新鮮だ。最近はシンガーソングライターとしてだけでなく、「シンフォニー音楽劇『蜜蜂と遠雷』〜ひかりを聴け〜」にも女優として舞台に立っているヒグチ。活動の幅を広げる彼女に、リアルサウンドとしてはおよそ4年ぶりのインタビューを行い、現在の心境についてじっくりと語ってもらった。(黒田隆憲)

親がいるという「事実」は、私がここに存在することの絶対的な理由

ヒグチアイ(写真=藤本孝之)
ーー新曲「縁」は、ドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』のエンディングテーマとして書き下ろされたものですが、ジェーン・スーさんの原作を読んでどんなふうに感じましたか?

ヒグチ:まず印象に残ったのは、スーさんがお母さんについて書かれているところでした。スーさんは、お母さんを早くに亡くされ、その「横顔」しか見ていなかったことを悔やんでいるんですね。遺品整理でお母さんの箪笥を開けたとき、そこにすごく高そうな洋服が入っていて。スーさんのお父さんには他に女性がいて、それをお母さんは気づいているのだけど、咎めずに高価なものを買うことで自分の気持ちを抑えていたと。それを大人になってから知ったという記述があって、とても心に響きました。

 私自身も自分の母親について、その「横顔」しか見ていない気がしたんです。母が「女」である瞬間、「子供」である瞬間を、何一つ知らずにいつか亡くしてしまうとしたら、すごく寂しいことだなと。なのでスーさんの本を読みながら、両親のことをたくさん知りたくなりました。もちろん、親が子に話すときにはフィルターはかかるだろうけど、それでも彼らがどういう人生を生きてきたのかは聞かなきゃいけないなと、この本から学びましたね。

ーースーさんも、お母さんが亡くなったときと同じ後悔を、お父さんのときにはしたくないという思いから筆を取ったと書いていましたよね。

ヒグチ:お父さんのためにスーさんが自費でマンションを借りて、「その代わりにお父さんのこと、書かせてもらうよ?」と交渉するところもいいですよね(笑)。この本が出版された後も連載は続いているんですけど、それを読むとスーさんのお父さんがどんどん老いて小さくなっていく描写などもとてもリアルで。こうしている間にも、それぞれの人生が進んでいき、自分の親も同じように老いていくのだなと思うと少し寂しい気持ちにもなります。

ーー書き手としてのジェーン・スーさんに共感する部分はありましたか?

ヒグチ:私の父は、スーさんのお父さんほど強烈ではないけど(笑)、昔の記憶をどうやってあんな鮮やかな文章としてまとめているのか、その方法は是非とも教えてもらいたいと思いました。何かメモのようなものを付けていらしたのか、それともずっと心に刻んでこられたのか。比喩表現もすごく素敵で、シリアスな話であってもクスッと笑える瞬間があって。私は結構、そのままを書いてしまうところがあるので、何かひとつ事実を書く時にも頭の中で面白く変換しようとしているところに、スーさんのお人柄が出ている気がします。

ーーでも、ヒグチさんの歌詞にユーモアを感じる瞬間は結構ありますよ。ヘビーなことを歌っていても、どこか自分を俯瞰で見て面白がっているようなところがあるというか。

ヒグチ:ふふふ、確かに。曲にするというのは、ある意味では自分の経験を「見せ物」にしているわけだし、そこで一つ客観視して笑っているところはあるとは思います。意外と親とかが、それに対して嫌がっていないのは「さすが親子だな」と思う時もありますね。

ーーヒグチさんのご両親はご健在なのですか?

ヒグチ:はい。私が高校生の時に両親は離婚していますが、どちらも幸せに暮らしています。子供たちは3人いるのですが、父とも母とも普通に交流していますね。父と子供たち、母と子供たち、それぞれのLINEグループがあって、そこに父から「ホヤランプを作ったよ」というメッセージが送られてきて。テレビで紹介されてバズったこともありました。

ーーはははは!

ヒグチ:子供たちの方は面倒くさがってあまり連絡を取っていないので(笑)、たまにはこちらからも連絡しなきゃなあとは思っていますね。

ーー新曲「縁」は、そんなご両親についての思いも投影されていますか?

ヒグチ:父と娘の話がメインの原作なので、父のことを書こうと思って最初は歌詞の中に「父」という言葉を入れていたのですが、ドラマの制作サイドから「家族の話にしてほしいので、『父』という言葉は取ってほしい」と言われたんです。なので、聴いた人にとっては家族だったり恋人だったり、ある程度年月を重ねた関係性の2人の話にも聞こえるのかなと。そこはそれぞれの解釈にお任せしようかなと思っています。まあ、ドラマを観た人は「父と娘」の歌詞と思うかもしれないですけどね。

ーー歌詞の中の、〈事実〉というワードがとてもインパクトがありますよね。

ヒグチ:私にとっても、この「事実」という言葉はとても重要で。お互いのことをどう思おうが、人は親がいなくて生まれるということはあり得ないし、その「事実」は変えようがない。親がいるという「事実」は、私がここに存在することの絶対的な理由じゃないですか。そこに愛したり、憎んだりといった感情が入ってくるのはそれぞれの事情があるけど、親子である「事実」は変わらないということを歌いたかったんです。

親も恋人も、好きでいられる距離をちゃんと取ることが大事

ーー〈素直になれないわたしたちは 諦めることを覚えた〉というラインの、「諦める」という言葉にはどんな思いを込めましたか?

ヒグチ:以前、結婚している友人に「相手の嫌なところとかないの?」と聞いたことがあって(笑)。そしたら、「そういうのは全部諦めてる」と言ったんです。「絶対にこの先、一緒にいるのだから、そこ(嫌なところ)を考えても仕方ない」って。それを聞いたときに、「絶対にこの先、一緒にいる」と言い切れるのはすごいことだなと思った。私はそういう感覚になったことがないけど、結婚するということは「諦めること」だと当たり前のように言っている友人に感銘を受けたというか。「諦める」って、全然後ろ向きの言葉ではないなとその時に思ったんです。その先の「希望」のために諦めることもあるのだろうなと。

ーーそこにあるものを受け入れるでもなく拒絶するでもなく、そのまま見ることが「諦める」ことなのかもしれないですね。

ヒグチ:確かに。自分にとって「どうでもいいこと」かどうかは、明らかにした方がいいですよね。そこにこだわるというか、他の人がやっていたらどうでもいいことなのに、「なんかこの人がやっていると嫌だな」と感じることってあるじゃないですか。それに対してもうちょっと寛容になるというか、諦めたり「どうでもいいか」と思えたりするようになるのは、自分にとっても大切なことなのかもしれない。この先誰かと一緒になるにしても、一人で生きていくにしても、自分が自分であるために「諦める」ことは必要なんじゃないかと。「希望」という大きなポジティブのための、小さなネガティブが「諦め」なのかもしれないですよね。

ーー〈向き合うのではなく隣で同じ景色を見る〉というラインは、作家であるサン=テグジュペリの「愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめること」という言葉を連想させますね。

ヒグチ:私、幸せについてずっと考えていた時があったんですけど(笑)、世界中の人が幸せになるには、片方の手を誰かと握った時に、もう片方の手は違う人の手を握って円を作ることだなと思ったんです。誰かからもらった小さな幸せを、そうやって隣の人に分け与えていけば全員が幸せになる。ここで歌っているのは、そういうイメージなんです。同じ人と両手を繋いで向き合い、そこだけで完結していたら、自分たち以外の幸せを考えられなくなってしまうのではないのかなって。

ーーその人だけしか見えなくなる共依存のような関係性は、結局のところ自分たちを不幸にしてしまう気がしますよね。それは恋愛だけでなく、家族でも友人でもそうだけど。

ヒグチ:二人だけの閉じた世界は、それはそれで楽かもしれないけど、結局それでは生きられなかったなと過去を振り返ってみても思います(笑)。きっと恋愛でも親子でも、最初は両手をつなぎ合っているかもしれない。でも、どこかのタイミングでまずは片手を離さなきゃならない。その、手を離すタイミングがズレた時に、色々と問題が起きるのだと思う。

ーータイミングが上手くいけば、お互い自立しながら愛し合えるはずなのですが……なかなか難しいですよね(笑)。

ヒグチ:本当にそう。私自身も親との関係性を考えてみると、上手に手を離せなかった気がしていて。だから、それが上手くできている人が羨ましい(笑)。色んな人と話をしていて、時々「ああ、この人は親に愛されて育ったんだな」と感じる人っているじゃないですか。めちゃくちゃ「いいなあ」と思っちゃいますね。いや、別に愛されてこなかったわけじゃないんですけど。

ーー〈丸くなったり、優しくなったりして欲しくない、憎ませて欲しい〉というラインには、そんな親に対する複雑な思いが込められていますよね。

ヒグチ:インタビューの最初で「親の横顔が見たい」なんて言いましたけど、やっぱり親には強くあってほしいという勝手な期待もあるんです。私が17歳くらいの頃、母が目の前でものすごく泣いたことがあって、その時に「ずるいな」と感じてしまったんですよ。今までずっと“母親”をやってきて、それで散々言うことを聞かせてきたくせに、今さら弱さを見せるのはすごくずるいし、ちゃんと母親としての姿を全うしてほしいと。

 でも、いざ自分が大人になってみたらそんなの無理だし、よく考えてみたら私の今の年齢で私を産んでいるし。そこからずっと、母親をやってくれていたのは奇跡みたいなものだなとも思えて。「いつまでも親でいてほしい」「弱みを見せないでほしい」という気持ちはあるけど、本当は受け入れてあげなきゃいけないのかな……という葛藤ですよね。

ヒグチアイ(写真=藤本孝之)

ーーそんな気持ちを経ての、〈あなたといたくても わたしは変わらない わたしといたくても あなたは変われない〉という、さっき話した「諦め」の境地ですよね。それに続く、〈あなたといたいから わたしは離れた〉というラインでは、人との「距離」の大切さを歌っているのかなと思いました。

ヒグチ:やっぱり近過ぎるのって良くないなと思います。離れたら仲良くなることも、人間関係はあるじゃないですか。実際に、母とも離れて暮らすようになってからの方が仲良しだし。私自身、人との距離が近過ぎると嫌になってしまうことが多いので、必要以上に近付きたくないんですよね(笑)。そこを理解してくれる人だと長く一緒にいられる。親も恋人も、好きでいられる距離をちゃんと取ることが大事なんです。

ーーお互いに「心地よい」と感じる距離が同じだといいんですけどね。

ヒグチ:本当にそうですよね。そう思える人を見つけるのが大変(笑)。こういう、面倒くさい人間が書く歌詞を求めている、私みたいに面倒臭い人間もたくさんいるだろうから(笑)、そういう人たちに共感してもらえる歌詞を今後も書いていきたいと思っています。

ーー曲自体はカントリーミュージックがベースになっていますよね。

ヒグチ:はい。ずっとバンジョーとフィドルを入れた楽曲を作りたいと思っていたんですよ。でも、ピアノで曲を作っていると、なかなかそういうカントリーっぽい曲にならなくて。ようやく「これはいけるんじゃない?」という曲が書けたので、ピアノの伴奏はなるべく控えめにして、ギターやバイオリン、チェロなど弦楽器をフィーチャーしたアレンジに仕上げてもらいました。生音でのレコーディングはすごく楽しかったし、やりたかったことが実現できてとても嬉しいです。ドラマのための楽曲という「縛り」があったからこそ出来た曲なのかなとも思いますね。

ーーカントリーは好きだったんですか?

ヒグチ:好きでした。最近、ハンガリーの音楽が好きだということに気づいたんです。小さい頃からなぜかバルトークの曲が大好きで、彼について色々分析してみたら、どうやらハンガリーの民族音楽をルーツとしているらしく、それを自分の音楽の中に取り入れていたみたいなんですよね。そのエピソードを聴いて、もともと自分は民族音楽がすごく好きだし、バルトークのようなアプローチを試してみたいと思って今回、アメリカの民謡であるカントリーミュージックを自分の音楽に取り入れてみることにしました。

ーー今後もケルト民謡や、インドの古典音楽なども取り入れていったら面白いかもしれないですよね。

ヒグチ:そう思います。最近は民謡もよく聴いているんですけど、なぜかすごく惹かれるんですよ。ヨナヌキ音階や4度のハモリもそもそも好きだったし、きっと自分のルーツにそういう音楽があるんでしょうね。

ヒグチアイ / 縁 【Official Music Video】

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