PandaBoY×fu_mou×佐高陵平×佐藤陽介が語る、2010年代以降のDJカルチャーとアニソンの関係性

 DJを題材に、アニソンとクラブミュージック、さらにJ-POPを掛け合わせたことで人気のコンテンツ『D4DJ』。昨年DJ体験が楽しめるスマートフォン向けリズムゲーム『D4DJ Groovy Mix』がリリースされたほか、昨年末から今年初頭にかけてアニメ『D4DJ First Mix』も放送、今年初頭にはゲーム収録の楽曲を集めたカバーアルバム『D4DJ Groovy Mix カバートラックス vol.1』もリリースされている。

 今回リアルサウンドでは、『D4DJ 』に携わるクリエイター陣4名による座談会を企画。アニメ『D4DJ First Mix』の音楽を手がけるほか、劇中ユニットPhoton Maidenのオリジナル曲の作詞、作曲、編曲を手がける佐高陵平(y0c1e)、同じく劇中ユニットHappy Around!の「ぎぶみーAwesome!!!!」作詞作曲編曲や多くの曲の編曲を手がけるPandaBoY、Happy Around!の「Brand New World」作詞作曲編曲やPhoton Maidenの作曲や編曲を多く手がけるfu_mou、そしてPhoton Maidenの「Here’s the light」の作曲など手がける佐藤陽介(4sk)といった人気トラックメイカーが集結。トラックメイカー/DJという観点から、アニソンシーン、アニクラシーンなどを分析してもらった。(榑林史章)

僕らの「Maltineヒーロー」はtofubeats

PandaBoY

ーーまずはみなさんがどんな音楽から影響を受けて、どういうきっかけでDJをやるようになったのか教えてください。

PandaBoY:僕は、もともと趣味程度にDTMで楽曲制作をやっていて、仕事で上京した後にDJをやっていた先輩からリミックスを頼まれたのが最初で。そのうちその先輩のイベントでDJもするようになってその流れで秋葉原のMOGRAに出会ったり、リミックスをニコニコ動画やSoundCloudにアップしていたら、作曲の依頼もくるようになって今に至っている感じです。実は、昔ダンスをやってたんですよ。

一同:ええ〜!

PandaBoY:ダンスで踊る曲の編集がしたいがためにDTMを始めたんです。当時はまだEDMという概念がなかった頃ですね。

ーーfu_mouさんは?

fu_mou:僕が音楽を始めたきっかけは、中高で軽音部に入っていたことです。そこでは当時流行っていた日本のメロディックパンクやハードコアパンクのコピーに始まり、海外のミクスチャーやメタルのコピーもやったりしていて。ある時から自分でも曲を作りたいと思うようになって、音大に進んで本格的にDTMを始めました。そこでラップトップPCをメインにして歌ったりギターを弾いたりするライブをやっていて、それが今のライブスタイルのきっかけにもなっています。実は僕、DJするのは自分が関わったアイドルやアニメの公式イベントでご依頼いただいた時だけで。クラブに呼ばれる時は『DJ的に曲をつないでエディットしながら自分で歌う』というライブアクトとしてやらせてもらってます。

ーー佐高さんはy0c1eの名義で活動されていたんですよね?

佐高陵平(以下、佐高):僕は、高校くらいの時にニコニコ動画がすごく流行っていて、ニコニコ動画をずっと見ていたら「音MAD」とか「初音ミク」、「東方アレンジ」がすごく人気だったんです。僕は札幌出身なんですけど、IOSYSという東方アレンジを手がけているサークルが札幌にあって、彼らの作品に出会って衝撃を受けました。エッジーな電子音楽に触れたのが初めてだったし、最初は聴き専だったんですけど、大学に入って時間ができたので、自分にもできるんじゃないかと思ってDTMをやってみようと思ったんです。

4sk:僕は、音楽の入り自体が音ゲーだったんです。小学3年生くらいに、「beatmania」や「DanceDanceRevolution」といったゲームが流行っていて、たまたまゲームセンターで「DrumMania」をプレイしたらハマってしまって。音ゲーをやっているといろいろなジャンルを聴く機会があって、特に「beatmania」は、ダンスミュージックやクラブミュージックが多かったから、そういう打ち込みの音楽をやりたいなと思って。それで、高校に入ってバイトしてパソコンとか機材を買ってやり始めました。

佐高陵平(y0c1e)

ーー機材が手に入る環境や創作を発表する場所が整ってきたのもあって、トラックメイキングへのハードルが下がってきていた時期だったんですね。

PandaBoY:そうですね。トラックメイカーがめちゃくちゃ増えました。DJをやりながら作る人が。

佐藤:一番は機材が安く買えるようになったことが大きいですね。

fu_mou:PandaBoYさんと僕らの学生時代って、まともにオーディオ編集をする機材をそろえようとしたら30〜40万以上はかかりましたよね。それが今は、普通のパソコンと安いオーディオインターフェースがあれば全然できちゃう。

PandaBoY:音楽制作ソフトとして有名な「Logic Pro」も2万4千円くらいだし、「GarageBand」にいたっては無料でMacに最初から付いてきます。敷居が低くなって、それこそブートのリミックスだったら、パソコンを持っていれば誰でもできる環境になった。

ーー佐高さんからもお話に出たように、インターネットが普及してニコニコ動画などの共有サイトが一般的になったことも、影響がありそうですね。

佐高:たぶん4人ともインターネット出身みたいなところがありますよね。

佐藤:2010年より前だと、みんな「Myspace」(※注1)をやっていたんじゃないですか?

fu_mou

PandaBoY:4skのことは、最初Myspaceで発見した気がする。黒いニット帽の写真があって。

佐高:あったあった。懐かしい。

fu_mou:俺はそれ、mixiで見た(笑)。

PandaBoY:俺らが最初にやりとりしたSNSって、mixiなのかな。

佐高:確かPandaBoYさんとは、mixiで最初にコンタクトを取ったと思います。

PandaBoY:そうだっけ(笑)。4skはなんでMyspaceで見つけたんだろう。

佐藤:まだ<ALTEMA Records>から出していない頃だと思うので。

PandaBoY:fu_mouさんはSoundCloudの印象が強いかな。

fu_mou:今ちらっと出たけど、<ALTEMA Records>からリリースの打診を受けたのも、レーベルの人がSoundCloudを聴いてくれたっていうきっかけがあって。

佐藤陽介(4sk)

ーー<ALTEMA Records>などネットレーベルの存在は大きいですか?

fu_mou:それは大きいですね。2008年〜2010年辺りでネットレーベル、Twitter、SoundCloudが一緒に盛り上がった感じがあって。それは、<Maltine Records>という関東のでかいレーベルが有名になったことが大きいんじゃないかな。そこからTwitter発のレーベルがたくさん生まれて、その中の北海道の<ALTEMA Records>から出したEPを商業の人が聴いてくれて、僕が商業作品を作るきっかけになった。そういう意味でも熱いブームでした。

ーー自分たちの音楽を発表する場があったという。

PandaBoY:そうです。レーベルもそうだし、ニコニコ動画やSoundCloudもそうだし。

佐高:音声ブログみたいなのもあって、僕はそこに曲をあげてTwitterに投稿したりしていました。それが2008年から2009年で、それがきっかけになって広がった感じはあります。

佐藤:ネットレーベルの話で思い出したんですけど、僕が初めてちゃんとした形で世に出たのって、dj newtownというtofubeatsさんの別名義のリミックスを<Maltine Records>から出したのがたぶん初めてなんです。僕が高校を卒業した後くらいなんですけど、当時は宮城に住んでいて、それでも活動ができていたのはネットレーベルのおかげですね。

PandaBoY:4skって<Maltine Records>が最初だったんだ? 結構意外だな。

佐藤:自分だけのまとまった作品は出してないんですけど、そのdj newtownのリミックスと、ハウスのコンピが出ていてそれに参加したんですよね。<Maltine Records>から出てきた人でいうと、長谷川白紙くん、yuigotくん、banvoxくんなどが有名だと思うけど。

長谷川白紙 / シー・チェンジ
yuigot + 長谷川白紙 / 音がする
banvox / Stay The Night

fu_mou:僕らの時代の「Maltineヒーロー」は、tofubeatsですからね。

tofubeats / 水星 feat.オノマトペ大臣

(※注1)Myspaceは2003年にローンチされた音楽・エンタメ系のSNSサービス。海外ではCalvin Harris、国内では80kidzなど人気アーティストを輩出した。

関連記事