星野源が『おげんさんといっしょ』で挑み続ける文化の継承 第4弾放送から感じた“豊かさ”の意味
番組後半では今回もスタジオを移動。もちろんその道中もカメラは追う。本家『おかあさんといっしょ』のスタジオで展開されたのは振付・MIKIKO、編曲・美央によるELEVENPLAYの約5分間にわたるダンスパフォーマンス。昨今のゴールデンプライム帯の地上波放送でダンスだけをこれだけの尺を使って見せるというのは記憶にない。しかもその間、おそらく他の番組なら必ずするであろう、それを見ているおげんさんたちにカメラを向けることはもちろん、ワイプをつけて顔を抜くというようなこともしていなかった。ダンスだけを純粋に見せるんだという強い意志があったのだろう。
おげんさんはこのパートの前に60年代に放送されていた『夢であいましょう』を紹介。様々なコーナーがある中、ダンスだけのコーナーがあり、それを見て泣いたという。
「なんて豊かなんだと思って。いまテレビの中で、ダンスだけを5分ぐらい見るってないでしょ? なかなかないんだけど、このころはこれを、家の中でとか、いろんな家庭だったり職場だったりで、みんなでみて楽しんでたっていうなんかその様が、すごい豊かだなと思って」
今、これをやれるのは『おげんさんといっしょ』しかないんじゃないかと企画したと語るのだ。
このダンスを見たお父さんは「いまテレビみてるとね、全部説明してくれるじゃない? いろんなことを。全部教えてもらえちゃうけど、ダンスだけ見るって、それぞれが見ながらいろんなことを想像して隙間を埋めれるじゃない。見る人の数だけ思うことが違ったんだなと思って。めっちゃ素敵でした!」と感想を述べる。
意味や情報を詰め込むことが「豊か」ではなく、あえて隙間を作り、見ている人たちがその隙間をそれぞればらばらの感受性で埋めていくことこそが「豊か」なのだ。かつてはあったけれど、今は失われてしまった文化を、ノスタルジーではなく今の新しいマインドで復活させる。まさに文化の継承を星野源は『おげんさんといっしょ』で挑み続けている。その豊かさは隆子が言ったように「テレビの夢」そのものだ。
最後は雅マモル(宮野真守)も加わり一家全員で「うちで踊ろう」を歌う。「ばらばら」から始まり「うちで踊ろう」で終わるという最高の構成だ。
今回は奏者であるU-zhaanやダンサーたちを除き、いわゆる新しい「ゲスト」を加えなかった。その日のラジオで「自分のやりたい『おげんさん』っていうのは今日、特に100パーセントできたような感じがした」と星野源が振り返ったように、ある意味でこのメンバーでのやりたいことを深化させた集大成という意味合いもあったのではないか。みんなで楽しげに「うちで踊ろう」を歌い踊る多幸感に満ちた光景は「第1章」の大団円を感じさせるものだった。
最後、それぞれがばらばらにめちゃくちゃなハミングをしているうちに自然と「重なり合って」いく瞬間は、『おげんさんといっしょ』のすべての思いが凝縮されているようだった。