KSUKEがニューシングルに込めた、DJ/音楽プロデューサーとして思うこと 「日本人として世界と闘える武器とは何なのか」

KSUKEがニューシングルに込めた、DJ/音楽プロデューサーとして思うこと 「日本人として世界と闘える武器とは何なのか」

 DJであり音楽プロデューサーであり、バンド・コロナナモレモモ(マキシマム ザ ホルモン2号店)のメンバーでもあるKSUKEが、ニューシングル「Contradiction(feat. Tyler Carter)」をリリースした。イントロからバース、ビルドアップ、そしてドロップという、いわゆる“EDM”の明快な構成とロックのダイナミズムが融合し、聴く者のテンションがピークに達するまでの最短距離を貫くアグレッシブでストレートなインパクトは、KSUKEがアーティストとして活動する以前の、00年代や10年代の情熱に回帰し今に昇華したようにも思える。なぜ彼はここにきてこのような曲を作ったのか。その音楽遍歴をあらためて振り返ってもらうことでその真意に迫った。ポイントは世間の言う“EDM”とKSUKEの捉える“EDM”の違い。そこから浮かび上がる、彼が持つセンスの源とクラブカルチャーの魅力に注目してもらいたい。(TAISHI IWAMI)

“ジャンルとしてのEDMを作っている”という感覚はまったくない 

ーーKSUKEさんはDJ、音楽プロデューサー、ロックバンド・コロナナモレモモ(マキシマム ザ ホルモン2号店)のメンバーと、さまざまな活動をしていますが、そもそも音楽を発信することに携わるようになった経緯を教えていただけますか?

KSUKE:幼稚園の頃から親の勧めでクラシックピアノを習っていたんですけど、そういう環境の子供にありがちな、練習とか発表会とかが苦手なタイプでした。でも、親や兄、家族みんなが音楽好きだったことに影響されて、僕もだんだんといろんな音楽を聴くようになっていったんです。今の活動に繋がる転機となると、中学生の頃ですね。ゲームセンターに行くようになって、音ゲーを好きになったことと、それからしばらくしてELLEGARDENやマキシマム ザ ホルモンといった、当時台頭してきたロックバンドにはまったことが大きかったです。

ーー最初に手を付けたのはトラックメイクですか? バンドですか?

KSUKE:高校に入ってコピーバンドを組んだことが始まりです。目立ちたがりな性格もあって、その頃からステージに立つことで身を立てられたらいいなって、なんとなく思っていました。でも僕は根本的に一人が好きなんですよね。だから、大学に入ってからもバンドを組んでみたんですけど、どうもうまくいかなくて。それで、何か一人でステージに立てることはないか考えていたタイミングで、たまたま友達がクラブに連れて行ってくれたことがDJとの出会いでした。その時は、DJがブースのなかで何をやっているのか、具体的なことはまったく知らなかったんですけど、その姿が僕の目にはすごくカッコよく映ったんです。それで、DJとは何なのか、クラブに通ったり実際にクラブのバーテンダーとして働いたりして、吸収していきました。

ーーそしてDJになった。

KSUKE:DJを始めたことと並行して、パーティをオーガナイズするようにもなりました。それがけっこううまくいったんです。僕は出身が岐阜でDJ活動をやっていたのは名古屋なんですけど、その頃、名古屋でクラブに通っている人で、僕のパーティを知らない人はいなかったんじゃないかと思います。そのくらい盛り上がったんですよね。

ーーどんなパーティだったんですか?

KSUKE:僕がいろんなパーティに遊びに行ったなかで、ときどき疎外感を味わうことがあったんです。特に誰かに何をされたわけでもないんですけど、雰囲気的なことですね。

ーー“身内ノリ”みたいなことですか?

KSUKE:人を言葉で分けることにはちょっと抵抗がありますし、どう言えばいいのか難しいんですけど、例えばエッジィなファッションの人たちとか、ギャルとか、箱によっても音箱とかチャラ箱とか、目に見える色があるじゃないですか。それはそれでいい面もあるんですけど、僕はただ音楽を大きな音で感じたい人たちみんなが、フラットに楽しめる空間を作りたいと思ったんです。実際に、僕のパーティには、あらゆる職業、年齢、価値観の人たちが集まってくれました。みんなが自由に楽しんでいる光景を見て、最初は趣味で始めたところから、DJという職業の素晴らしさを実感するようになったんです。

ーー音楽的にはどのようなスタイルだったのですか?

KSUKE:僕がクラブで遊び始めた頃は、いわゆるエレクトロハウス、JusticeとかDigitalismの全盛期で。

ーー国内のDJだと、DEXPISTOLS、80KIDZやDJ KYOKOさんが登場した時期ですよね? ロックとの距離も近いシーンだったので、バンドをやっていたKSUKEさんにもハマったのではないかと思います。

KSUKE:音ゲーが好きなこともあってエレクトロには興味がありましたし、ロックも好きだし、もともと雑食で、その頃から持っている感覚は今の活動にも繋がっていると思います。今挙げられた日本のDJも、いろんな音楽の要素を採り入れていて、KYOKOさんは僕と同じ岐阜県の出身だったこともあって、憧れの存在でした。そのあと、海外ではZeddやSkrillexがヒットして、EDMのブームが起こって、僕はそこに乗っかった感じですね。

ーー10年代のEDMは本当に大きなムーブメントでしたが、KSUKEさんにとっては何だったのでしょう。

KSUKE:EDMについて話すのは、すごく難しいんですよね。俗に言う“EDM”と、僕や多くのアーティストが思う“EDM”には、差があるように思っていて。

ーーそれはどういうことですか?

KSUKE:リスナーサイドにとってのEDMって、“イントロ→バース→ビルドアップ→ドロップ”というわかりやすい構成ありきの音楽ジャンル、限定的な意味合いが強いですよね? それに対して、僕にとってのEDMが何かと問われると、文字通り“電子音を使ってダンスミュージックを作る”こと。だから、一般的なEDMの概念はわかりますし、そういう展開の曲を意識的に作ることもありますけど、そこに“ジャンルとしてのEDMを作っている”という感覚はまったくないんです。

ーーなるほど。前提が異なると話がズレてきますよね。

KSUKE:特定の構成がEDMと認知されるようになった背景としては、おそらく『ULTRA MUSIC FESTIVAL』のようなダンスミュージックのフェスがオンラインで配信されるようになったことが大きいんじゃないかと思うんです。フェスはものすごい数の多種多様な人々が集まるじゃないですか。そのなかで、かかっている曲を知らなくても、どこで盛り上がればいいか一発でわかるビルドアップからドロップの展開と、それによって生まれる熱狂が世界中に発信されたことで、日本も含め多くのリスナーが衝撃を受けたんだと思います。

ーーそのことについてはどう思いますか?

KSUKE:素晴らしいことだと思います。フェスとクラブはまたノリが違いますけど、僕らが本当に体感してほしいクラブカルチャーへの入り口にもなったと思いますし。

ーーそのEDMは死んだのかどうか。私は、EDMの次にどんなジャンルの音楽がくるのか、という視点で見ていたんです。しかし、あの規模感でまた別のジャンルが流行るとか、かつてのジャンルがリバイバルするとか、ある程度の傾向はあるにせよ、そういう繰り返される流れ自体が変わったのではないかと思います。

KSUKE:そうですよね。時代的なことで言うならば、いろんなジャンルの音楽をアーティストそれぞれの解釈でミックスして、新しくてオリジナルなものを生み出そうとしているんだと思います。だから、もはやDJでもそれらを一括りにしてジャンル分けすることは難しい。そのなかで、いわゆるEDMはどうなったのか。多くの人が“EDM”と一言で言いますけど、そういう曲を作るのってめちゃくちゃ難しいんですよ。トラック数も多いし、ミキシングの作業も大変。要するに、あのムーブメントにいたアーティストは、打ち込みのトラックメイクに極めて長けた人が多いんです。だから、今のクラブシーンやヒットチャートを見ていても、そのテイストって、けっこうな割合で入ってるし、残ってるじゃないですか。

ーーはい。

KSUKE:でも、そうやっていろんなジャンルのいいところを取り入れてミックスすることって、流行り廃り関係なく、僕らがずっと前からやってきたことなんです。そこにDTMの発達もあって優れたトラックメイカーがたくさん出てきて、スタイルが多様化するなかで、いい曲がたくさん生まれている。そういうことなんだと思います。だから、どうまとめたらいいのか、それもまた難しいんですけど、“EDMというムーブメント”は確かにあったけど、“EDMという音楽”は初めからなかったようにも思いますね。強いて言うなら、その構成やサウンドが地盤として固まって、拡散されていってるのが今なんじゃないでしょうか。

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