坂本真綾インタビュー【前編】 自らの意思と個性に影響を与えた、25年間のキャリアでの数々の“出会い”

坂本真綾インタビュー(前編)

 坂本真綾がCDデビュー25周年を迎えた。1996年、16歳のときにシングル『約束はいらない』でデビュー。菅野よう子のプロデュースのもと、シンガーとしての表現力に磨きをかけてきた彼女は、2005年以降、個性豊かなクリエイターとの出会いのなかで音楽性を広げる一方、作詞・作曲も手がけるようになり、アーティストとしての個性を確立させた。

 2020年7月15日には25周年記念アルバム『シングルコレクション+ アチコチ』をリリース。今回のインタビューでは、これまでのキャリアを振り返りながら、音楽性の広がり、音楽活動に対するスタンスの変化を辿ってもらった。(森朋之)

「当時は自分のことを“無個性”だと思っていました」

ーー今年はCDデビュー25周年。“25年”という数字について、どう感じていますか?

坂本:普段、“いま何年目だな”と思いながら日々を過ごすことはないんですが、節目を迎えるごとに「そうか、もうそんなに経つのか」と感じることはあります。体感的な感覚とのギャップがあることには驚きもありますが、私は運がいいなと思いますね。続けていたいという気持ちだけで続けられるものではないし、周りの人たちとの巡り会いや、もちろん曲を聴いてくれる方がいてここまで続けてこられているのだと思います。

ーー出会いにも恵まれた?

坂本:そうですね。困ったときに、ふと何かが救ってくれるようなことが、この25年の間に何回かあって。上手く言葉で説明できないのですが、長いことやっていると、いろんな時期があるじゃないですか。調子がいいときもあれば、自分の気持ちがついていかないときもあって。体力がついてこなかったり、目標を見失ってしまったり……。そういうタイミングで時には投げ出してしまいそうにもなりましたが、そのたびに偶然の出来事や出会った人や曲、あとは自分で書いた歌詞などによって、「もうちょっとやってみよう」と思わされた。それで、気が付けば25年が経っていました(笑)。

ーーなるほど。少しだけデビューの頃のことを聞かせてください。デビューシングル『約束はいらない』リリース時は、16歳になったばかり。もちろんアーティストの自我みたいなものも当時はなかったと思いますが……。

坂本:ほぼなかったですね(笑)。特に私は、ひょんなことから歌手デビューが決まったので、そこに向けての覚悟とか、長い視野での目標などもその時は持っていなくて。フラットな感覚でこの世界に足を踏み入れてしまったので、本当にアーティストとしては何の自我もなかったに等しかったと思います。歌うことは好きだったし、(CDデビューに対して)嬉しい気持ちはもちろんありましたが、いま思うと、とても子どもっぽかったと思います。

ーー幼少の頃から子役として活動していたわけですが、歌手としてのデビューは想定外でしたか?

坂本:それまでもCMソングなどは歌わせていただく機会がありましたが、自分の名前でCDを出して、それを商品として誰かに聞いてもらうというのは、自分でも驚きでした。『約束はいらない』がリリースされた日に、普段自分がCDを買っていたお店に行ったんです。そしたら自分の名前が書いてあるCDが置いてあって、衝撃を受けました。子役として舞台に立つこととはまったく違う感覚でしたし、「約束はいらない」は私も好きな曲だったから、皆さんに聴いてほしいという気持ちはあったけれど、その時は「友達に見られたら恥ずかしい」という気持ちも少しありました。このお仕事をしながら矛盾しているとは思いますが、もともと目立ちたいタイプではなかったので。

ーー自分を見てほしいというより、表現に関わりたいという?

坂本:そうですね。歌に関しては、子どもの頃、母親が褒めてくれたことが大きいんですよね、いま思うと。遊びながら歌ったり、テレビを見ながら歌っていたりすると、母がすごく褒めてくれることが何度もあって、「お母さんが喜んでくれるから歌いたい」と思っていました。CDデビューの際もすごく喜んでくれたし、デビューした後は褒めてくれなくなりましたけどね(笑)。自分で「私は歌が上手い」なんてまったく思っていなかったけど、歌うことはずっと好きだったんです。デビューしてからしばらくは、プロデューサーの菅野よう子さんの「もっとこう歌ってみて」というアドバイスに応えたいという気持ちもありました。演技と同じですよね、演出家が求めることに応えるという思いに近くて。10代のころは、ほとんどそれがベースだったのかな。

ーー坂本さん自身の好みや意向というより、菅野よう子という音楽家に導かれてシンガーとしての表現力を身に付けていったと。

坂本:もちろん自分の意思も少しずつ出てきてはいたし、後々、自分で歌詞を書いてみたいという気持ちも膨らんでいくんですが、どちらかというと当時は自分のことを“無個性”だと思っていました。好きなようにやっていいよと言われると照れが入ってしまったりどうしていいか悩んでしまっていたんですが、「こういう役だよ」と与えられると、自分でもびっくりするような表現ができるというか。歌手としても、1曲ごとに「この曲では、こういう人になる」というテーマをいただくほうが自分の表現の幅も広がっていたように思います。小さい頃から演技に親しんでいたおかげで、それが歌でも活かせた部分もありました。

ーー一方で「アーティストとしての個性を見つけたい」という気持ちもあった?

坂本:私はずっと、そのことがコンプレックスだったんです。“私らしさ”とか、私の“オリジナリティ”が自分ではよくわからなかったし、「それがないと、こういう仕事をしてはいけないんじゃないか」と思ってしまって。なので、長いこと個性を探していましたね。個性がないのに、あるふりをしている時期もあったし(笑)。

ーーなかなか複雑な気持ちだったんですね。

坂本:でも、そういう気持ちって少なからずみんなありますよね、若いときは。学校にいるときの自分、家にいるときの自分、自分が思っている自分などに、少しずつギャップがあって、「どこが本当の自分なんだろう?」「自分はどうしたいんだろう?」と悩んだり。誰もがいろんな部分を人に見せながら生活しているわけですけど、私は自分の名前を出して、外に向けてそれを表現しないといけなかったので。10代のときはドキュメンタリー的なところもあったと思います。自分の成長をみなさんに見てもらうという。

ーー音楽活動を通して、吸収できたものも大きかったのでは?

坂本:きっと演技が好きだったのは、学校で目立たない、何色でもない存在の私が、ひとたび役を与えられたときだけ、自由に何でもできるという“自分以外の人になる”快感を得ていたからだと思うんです。音楽の道に入ってからは、「もっと自分を出して」と言われることが増えて、私は「そういうのないな……」と思いながらも、菅野さんが「いや、きっとあるはず」といろいろなことを試してくれて、それを私自身に気づかせようとしてくれていたのだと思います。多感な時期に、「役を演じていない“ただの坂本真綾”についてもっと考えなさい」という場を与えていただいたこと、自分から目を逸らしたまま大人にならなかったことは、後々考えると、本当に良かったと思います。

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