The 1975『仮定形に関する注釈』が日本人にも響く理由 「物言うべき時代」への変化から考える
イギリス・マンチェスター出身の4人組・The 1975の待望視されていた新作『仮定形に関する注釈』が遂にリリースされた。9月に開催予定の『SUPERSONIC 2020』でのヘッドライナー出演が実現することを願いつつ、リアルサウンド編集部からの「なぜ彼らの音楽は日本人に響くのか?」というリクエストに応える形で、バンドと新作について考察してみる。
The 1975は世界中で愛されているバンドであり、もちろんここ日本だけでもてはやされているわけではないが、この国の音楽ファンの「UKロック」に対する愛情を無視することはできない。かつての日本がイギリスのバンドにとって世界進出のための重要なマーケットであったこと、日本のロックジャーナリズムがイギリスのバンドを強くプッシュし続けたこと、あるいは同じ島国としての国民性など、その背景には様々な理由があるかと思うが、とにかく日本の音楽ファンは「UKロック」を愛し、蜜月の関係性を築いてきた。
サブスクの時代に突入し、国のボーダーが徐々に薄れ、ラッパーやシンガーソングライターがチャートの覇権を握るようになって、「UKロック」に対する受容が変化してきたのも事実ではあるだろう。それでも、80年代のU2、90年代のレディオヘッド、00年代のコールドプレイと、世界的なビッグネームになったUKのバンドを「僕らの/私たちのバンド」として愛してきたのはまぎれもない事実で、2010年代においての「僕らの/私たちのバンド」は間違いなくThe 1975であった。新作のラストナンバーで、メンバーとの絆について歌う「Guys」には〈初めて僕らが日本に行ったときが人生で起きた最高の出来事だった〉というラインもあり、彼らと日本との関係性を象徴している。
上記したUK発の世界的な4バンドの共通点として、作品の評価を固めていく中で「バンド」の概念に捉われず、折衷的な音楽性を獲得していったことと、フロントマンがアクティビストとしての顔を持っていることが挙げられる。
The 1975の前作『ネット上の人間関係についての簡単な調査』が、レディオヘッドの『OKコンピューター』と比較されたこともあり、この2バンドをピックアップしてみると、レディオヘッドの名作『キッドA』は、エレクトロニカ/IDMから強い影響を受けていたのに対し、『仮定形に関する注釈』は彼らの代名詞である80年代ポップ、ルーツとしてのエモやハードコア、現代的なヒップホップやゴスペルに加え、UKガラージ/2ステップからの強い影響が感じられる。ここにはクラブカルチャーの存在が大きいUKならではの系譜を感じると同時に、編集的な音楽を愛する日本のファンとの親和性を感じ取ることもできる。
「アクティビスト」ということに関しては、U2のボノも、レディオヘッドのトム・ヨークも、これまで貧困や環境といった様々な社会問題に取り組み、コールドプレイのクリス・マーティンも以前からフェアトレードを積極的に支持。昨年発表した最新作『エヴリデイ・ライフ』のツアーに関しては、「環境に対して最大限に配慮した形ができるまで行わない」と明言するなど、近年多くのミュージシャンが環境問題に言及するようになっている。
スウェーデンの環境活動家であるグレタ・トゥーンベリによる5分近いスピーチをフィーチャーした「The 1975」、アラバマ州で成立した中絶禁止法を題材に「恐怖と無関心」について書いたという「People」を冒頭に並べ、ジェンダー/セクシャリティの問題についても幾度となく触れている『仮定形に関する注釈』は、アクティビストとしてのマシュー・ヒーリーがこれまで以上に強く反映された作品だと言えよう。グレタのスピーチの中には「今は礼儀正しく語ったり、私たちに何ができて何ができないかを語るべきときではありません。今は率直に物を言うべきときなのです」という一文があり、アルバムの性質を端的に言い表しているように思う。