ドミコ、PEARL CENTER、Shohei Takagi Parallela Botanica、John Natsuki……フェティッシュな声の魅力を持つアーティスト
ceroの髙城晶平が、ソロプロジェクト“Shohei Takagi Parallela Botanica”で聴かせる声は、バンドと違う可能性を実現していて興味深い。IDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)およびテクノを思わせる新曲「Fdf」は楽曲のパワーに沿った伸びやかさを聴かせたが、4月8日リリースのソロアルバム『Triptych』では一貫したストーリーテリングに重きを置いているためか、非常にパーソナルで淡々とした話し声に近いトーンや、時としてフラジャイルなほど静かな発声を聴くことができる。彼の持ち味として、声の端正さと共に潜在的なあどけなさのようなものがあるが、その無垢性が遊び疲れたパーティーの後の倦怠感と逃避への欲求をビビッドに届けているように感じた。これは先行配信された「ミッドナイト・ランデヴー」の印象。他の楽曲では感情より感覚、一瞬の出来事を白日夢のように楽器とともに声で落とし込んだものも。髙城の声はその独自の歌詞世界と分かち難く結びついて力を発揮するのだと再認識した。
Tempalayのドラマー・藤本夏樹のソロプロジェクト“John Natsuki”が3月にリリースしたアルバム『脱皮』。これまでもデジタルシングルをリリースしていた彼だが、アルバムスケールで変幻自在の表現を体感すると、最初に想起したのはデヴィッド・ボウイだった。地声より低いであろうバリトンボイスから、叫びに近い高音へ突き抜けるダイナミズムのある「赤い目」。紳士的で少し冷ややかな声と子供が感情に任せて怒りをぶつけるような、手懐けられないラフさが交互に現れる展開には良い意味でゾッとさせられる。ダークな世界観を持った楽曲の中で多重人格を持つ主体に命を吹き込んでいるのが、コロコロと質感を変える声なのだと思う。おそらく彼は直感的に歌っているのだろうが、それがビビッドで美しい。
人間の声が持つ情報量は音楽の中でも突出して大きなものだ。今回、取り上げた声は(もちろん楽曲の中でのバランスもあるが)一度感覚に引っかかると忘れ難い中毒性を持つ性質のものだと思う。声をヒントにまだ開かれていない感覚を目覚めさせる、そんな体験ができる彼らの音楽をお勧めしたい。
■石角友香
フリーの音楽ライター、編集者。ぴあ関西版・音楽担当を経てフリーに。現在は「Qetic」「SPiCE」「Skream!」「PMC」などで執筆。音楽以外にカルチャー系やライフスタイル系の取材・執筆も行う。