松本孝弘はギタリストとしてどう磨かれた? BABYMETAL楽曲など盛んなソロ活動を機に考察

 松本のギタリストとしての特徴は、表面的な技術ではなく、“トーン(音色)”にあると評される。たとえギターに関する知識が少ない人でも、音楽番組『ミュージックステーション』オープニングテーマ(「#1090 〜Thousand Dreams〜」(1992年))をワンフレーズ聴けば、それがわかるはず。甘く、艶やかに伸びてくあのトーンだ。

松本孝弘 / DVD & Blu-ray「The Voyage at 日本武道館」DIGEST

 「音を聴けばその人がわかる」……それはギタリストにとって最大の褒め言葉だ。いわゆる、“手グセ”と呼ばれるような得意なフレーズではなく、どんな演奏スタイルでもこなす様を表しているともいえるだろう。

 よく比較されることの多い、同時代に活躍してきたギターヒーロー、布袋寅泰やhideは、ギタリストであると同時に自らマイクを握り、フロントマンとしてのアーティストの顔を持っているが、松本はあくまでギタリストとして自己を表現することに徹している。

 こうした松本の匠なギタリストのスタイルは、B’z結成前、スタジオミュージシャンだったことに由来しているのかもしれない。

 1985年、ビーイングが制作した同社所属ギタリストによるオムニバスアルバム『HEAVY METAL GUITAR BATTLE』(VICTOR INVITATION)。北島健二(FENCE OF DEFENSE)、松川“RAN”敏也(BLIZARD)、橘高文彦(AROUGE)という錚々たるメンツの中に、松本孝弘の名前がある。その名がはじめて大きくクレジットされた作品だ。

 90年代にB’zをはじめ、ZARD、大黒摩季、T-BOLAN、WANDS……など、チャートを席巻していくビーイングだが、80年代はBOØWY、TUBE、THE 虎舞竜……といったバンドをプロデュースしており、LOUDNESSや浜田麻里といった、ジャパメタブームの火付け役でもあった。同時にテクニカルなギタリストを多く輩出している。先述の北島健二、松川“RAN”敏也、橘高文彦を筆頭に、デビュー当時17歳の天才ギタリスト湯浅晋(X-RAY)、本城未沙子や早川めぐみといったイニシャル「H.M.」の“ヘヴィメタクイーン”のギタリストを務めた“ジェットフィンガー”の異名を持つ横関敦など、HR/HM好きなら誰もが知る面々である。そうした中、浜田麻里や早川めぐみのレコーディングやサポートを務め、その名を轟かせはじめたのが松本だった。

 そして、松本のプレイスタイルをさらに大きく拡げたのが、TM NETWORKへの参加だ。TM NETWORKをデビュー当時からサポートしてきた北島健二の紹介により、後任のサポートギタリストとして迎えられた。

 1988年にリリースされたTM NETWORK『CAROL ~A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991~』は当時、日本の音楽シーンにとって斬新で革新的なアルバムだった。松本にとって初となる海外レコーディングであり、プレイに関しても“クリーントーンでの緻密なカッティング”という新たな境地によって「鍛えられた」と後年語っている。そして、このアルバムを提げたツアー『TM NETWORK TOUR '88〜'89 CAROL 〜A DAY IN A GIRL'S LIFE 1991〜』では、「ダンスレッスンがつらかった」とも口にしているが、ファンタジーなミュージカルを取り入れた画期的なライブは、後年のB’zにおける大掛かりなステージ演出に繋がっているのかもしれない。

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