岡田有希子、竹内まりやとのタッグの変遷 時代超えるティーンエイジポップスとしてのみずみずしさ
1986年4月8日のことはよく覚えている。当時私は中学2年生。夕方、駅の売店の新聞広告に岡田有希子の名があったものの、友達と「同姓同名の別人じゃない?」と話して通りすぎた。それほど、にわかには信じがたかったのだ。
1986年1月には『くちびるNetwork』が1位を獲得したばかり。岡田有希子というアイドルは華々しい立ち位置にいた。
1986年5月14日に発売される予定だった、かしぶち哲郎作詞作曲編曲による「花のイマージュ」は発売中止となる。世に出るのは、1999年の『メモリアルBOX』まで待つことになった。後年聴く「花のイマージュ」には、岡田有希子の可憐さとともに、憂い、翳りといった要素もあり、かしぶち哲郎の耽美的な作風ととても合っていた。
では、岡田有希子という歌手と、他の作家の相性はどうだったのか? 竹内まりやが岡田有希子に提供した全楽曲を収録したアルバム『岡田有希子 Mariya's Songbook』がリリースされた。収録されたのは、作詞のみを手がけた2曲を含む全11曲。
竹内まりやは、ニューアルバム『Turntable』に、岡田有希子に提供した「ファースト・デイト」「憧れ」「恋、はじめまして」のセルフカバーを収録した。『MUSIC MAGAZINE』2019年10月号での小倉エージによるインタビューで竹内まりやは、岡田有希子の熱いファンたちからの「あの楽曲たちを埋もらせないでほしい」という声が常にあったことを明かしている。
発表からすでに30年以上の歳月が流れた、竹内まりやが岡田有希子に書いたティーンエイジポップスたち。以下、『岡田有希子 Mariya's Songbook』を聴いていこう。
1984年の岡田有希子のデビューは、竹内まりや作詞作曲のシングル曲「ファースト・デイト」によるものだった。〈誰にも優しい あなたのことだから〉という歌詞は、クラスで目立たない少女を主人公にしつつ、戸惑いと喜びと恥じらいを重層的に描きだす。アンニュイなメロディも美しい。作家としての竹内まりやの才能が十二分に発揮された楽曲であり、岡田有希子は初々しくもしっかりと歌いあげる。竹内まりやもコーラスに参加しており、その歌声は当時16歳の岡田有希子を支えるかのようだ。物語の始まりにして、この段階で完璧だった。
デビューからシングル3枚のA面はすべて竹内まりやによるものである。1984年の2ndシングル『リトルプリンセス』は、オールディーズな雰囲気も醸しだしつつ、歌詞では〈恋人気取りの私達〉と絶妙な距離感を描く。繊細にして伸びやかな歌声も魅力的だ。
1984年の1stアルバム『シンデレラ』からは、「さよなら・夏休み」「憧れ」を収録。「さよなら・夏休み」は、ストリングスやコーラスとともにドリーミーに夏の終わりを歌う。それに対して「憧れ」は、アンニュイさが印象的だ。ストリングス、そして竹内まりやも参加したコーラスが、テニスコートの片想いを鮮やかに浮きあがらせる。
1984年の3rdシングル「‐Dreaming Girl‐ 恋、はじめまして」(『岡田有希子 Mariya's Songbook』では「恋、はじめまして」)は、〈ママの選ぶドレスは 似合わない年頃よ〉という歌詞で始まる。ほんの1行で主人公の設定を説明してしまう、竹内まりやのソングライターとしての手腕にうならされる。B面の「気まぐれTeenage Love」は、岡田有希子の歌声が昂揚感をもたらし、A面に勝るとも劣らないクオリティだ。