中村雅俊が語る、“変化を重ねてきた”45周年の軌跡「全力投球してきたからこそ続けてこれた」

中村雅俊が語る、“変化を重ねてきた”45周年の軌跡「全力投球してきたからこそ続けてこれた」

 中村雅俊が45周年を記念したシングルベストアルバム『Masatoshi Nakamura 45th Anniversary Single Collection〜yes!on the way〜』をリリース。ミリオンセールスを記録したデビュー曲「ふれあい」(1974年)、桑田佳祐の作詞・作曲による「恋人も濡れる街角」(1982年)、小田和正の提供による「小さな祈り」(1998年)、最新シングル「だろう!!」(2018年)などをコンパイルした本作は、70年代〜10年代に至る“歌手・中村雅俊”の魅力の再発見につながりそうだ。

 7月6日から31日に『中村雅俊45thアニバーサリー公演』を東京・明治座で開催。さらに小椋佳、松山千春をゲストに招いたスペシャルライブ 『Masatoshi Nakamura 45th Anniversary 明治座 Special Live』(明治座/7月15日)、9月末からは全国ホールツアー『MASATOSHI NAKAMURA 45th ANNIV. CONCERT TOUR 2019 「ON and ON」 Vol.3 』を行うなど、アニバーサリーにふさわしい活動が続く。ベストアルバム、40周年記念公演を軸にしながら、歌手、役者としての中村雅俊の“これまで”と“これから”について聞いた。(森朋之)

変わらないと言われるのは“常に変わっているから”

ーーまずは7月に明治座で開催される『中村雅俊45thアニバーサリー公演』について聞かせてください。第一部は、勝海舟の父・勝小吉の物語【勝小吉伝 〜あぁ わが人生 最良の今日〜】を上演、第二部はコンサートの2部構成ですが、芝居の演目に関しては、中村さんの意見も反映されているんですか?

中村雅俊(以下、中村):いや、企画の段階ではそこまで参加していないですね。明治座サイドとウチのスタッフが話し合って、たくさんのアイデアのなかから、これに決まったので。

ーーなるほど。45周年の記念すべき舞台なので、ご自身の意向もかなり入っているのかと思っていました。

中村:デビューしてからずっと「これをやりたい」「あれをやりたい」ということで続けてきたんですが、何年か前からは「人の意見を聞くのもありだな」と思うようになって。みなさん、「これが中村に合うだろう」と思って提案してくれているわけだしね。もちろん、すべてをそのまま受け入れるわけではないですが、以前よりは人の意見を聞くようになりました。特に今回のお芝居は、台本と演出を鴻上尚史さんが担当してくださるので、安心して任せたいなと。第三舞台(鴻上氏が早稲田大学在学中に立ち上げた劇団)の頃から絶えず素晴らしい作品を発表しているし、時代に即したメッセージを送り続けている方ですからね。

ーー芝居自体は時代劇ですが、いまの時代に合ったメッセージを含んだものになる、と。

中村:ええ、そうなると思います。勝海舟の父親という役柄も、「中村に合うだろう」ということで選んでもらっていて。自由人だったんですよね、勝小吉という人は。自由奔放でヤンチャというキャラクターなんですけど、デビューからしばらく、俺もずっとそういう役を演じることが多かったので。『俺たちの旅』(1975年〜1976年放送のテレビドラマ)もそうだしね。

ーー確かにそうですね。70年代は自由奔放なイメージが強かったので。

中村:それをふまえて役作りできるので、やりやすいかなと。鴻上さんも明治座は初めてということもあって、きっと良い化学反応が生まれると思うんですよね。「いままでとは違う」という覚悟を持って臨んでくださるでしょうし、そのぶん、俺も頑張らないとなと。そういう意味では、いい緊張感がありますよね。

ーー中村さんにとっても新しい挑戦なんですね。

中村:そうですね。お芝居をやって、休憩を挟んでコンサートをやるという構成も初めてで、密かに「俺に向いてそうだな」と思ってるんですよ(笑)。役者と歌手の両方をずっと続けてきてるので。

ーー新しいことに挑戦することも躊躇しないタイプですか?

中村:まあ、新しもの好きではありますね。好奇心も旺盛だし、だからこそ、この職業を続けてこれたのかなと。学生の頃からそうだったんですよ。大学では英語劇をやっていたんですが、もっと違う世界を見てみたいと思って、文学座のオーディションを受けて。それも多少の好奇心や行動力がないとやらないだろうしね。

ーーひとつの場所、決まった場所に留まらないというか。

中村:ええ。よく「変わらないですね」と言われるんだけど、それって、ずっと変わり続けてるってことでしょ? この年齢になると、容姿だったりも変わっていくのが普通の状態じゃないですか。そうじゃないとしたら、何かしら頑張ってるんだろうし、変わり続けているんだろうなって。水鳥みたいに水面下ではガーッと掻いてたり(笑)。それも楽しいからやってるんですけどね。苦しいことばかりじゃ、続かないから。

ーー7月15日には、小椋佳さん、松山千春さんをゲストに招いたスペシャルライブ『Masatoshi Nakamura 45th Anniversary 明治座 Special Live』も。おふたりとも縁が深い方々ですよね。

中村:デビューの頃からの付き合いですからね。千春とはデビュー直後からプライベートでも一緒になることが多くて。お互いに大阪のイベンターが一緒ということもあって、創立
40周年のイベントで大阪城ホールで共演させてもらったり。震災の後、伊勢正三さん、千春と一緒に東北でチャリティコンサートをやったことともありました。俺のほうが年上だから、いろいろと気を使ってくれるんですよ。千春は口が悪いイメージがあるけど、義理堅い人ですから。今回のコンサートも、「頼まれたら断れない」という感じだったんじゃないかな(笑)。

ーー小椋佳さんは「俺たちの旅」(1975年)をはじめ、中村さんのデビュー直後の楽曲を数多く手がけています。

中村:もう44年になるから、吉田拓郎さんと同じくらい長いですね。ふたりでテレビに出たり、コンサートで共演したり、一緒になることが多いんですよ。小椋さんの曲は、すごくメッセージがあるんですよね。練られた言葉を発信される方だから、何度聴いても感じ方が違うし、普遍的なものがあって。時代に流されないというのかな。歌っていても「これがスタンダードだよな」と思うんですよ。千春の曲もそう。「恋」なんて、すごくいいでしょ?

ーーしかも「恋」は千春さんが20代半ばのときに発表されてますからね。成熟しているというか……。

中村:そうだよね。若いときからいい曲を書いてたし、歌も上手くて。素晴らしいよね。

ーーでは、シンングルベストアルバム『Masatoshi Nakamura 45th Anniversary Single Collection〜yes!on the way〜』について。「ふれあい」「心の色」「恋人も濡れる街角」など、それこそ“スタンダード”と呼ぶべき楽曲が多いですよね。

中村:改めて曲名と提供してくださった方々の名前を見て、「すごく恵まれているな」と思いました。すごい人たちにこんなにいい曲を書いてもらって……俺に曲を書いてくれた人たちの中には『俺たちの旅』を観てくれていた人が多いみたいで。桑田(佳祐)くんやASKAもそうだけど、カースケ(中村雅俊が演じた“津村浩介”のあだ名)の印象も強いみたいだし、「観てましたよ!」と言ってくれましたね。

ーー演じる役柄と中村さん本人のイメージがすごく近かったんでしょうね。歌手として活動を始めた当初は、役者と音楽のバランスはどういう感じだったんですか?

中村:「ふれあい」のときは「役者が歌っている」ということだったと思います。でも、コンサートツアーをやるようになってからは、役者だからといいうエクスキューズはできないなと思って。歌詞を間違えたりして、冗談で「役者だから」って言ったりしますけど(笑)、早い時期から“役者・中村雅俊”と“歌手・中村雅俊”をどちらも100%でやろうと決めて。それが良かったんでしょうね、いま振り返ってみると。ひとつひとつの仕事に全力投球してきたからこそ、ここまで続けてこれたんだろうなと。ただねえ、デビュー曲がいちばん売れたっていうのは……。右肩下がりじゃないですか(笑)。

ーーいやいや、その後もヒット曲がいくつも出てますから。

中村:そうですね(笑)。拓郎さんに作曲してもらった「いつか街で会ったなら」(1975年)もいいところまで行ったしね。「俺たちの旅」のときは、スタッフに「来週オリコンのチャート1位ですよ」って言われたんです。「よし! (『ふれあい』に続き)2曲目の1位だ!」と思ったら、2位だったんです。「およげ!たいやきくん」が初登場1位だったから。そうだったんですね!

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