スピッツ、連続テレビ小説『なつぞら』主題歌「優しいあの子」と「ロビンソン」の関係性
スピッツの新曲「優しいあの子」を聞いて最初に思い浮かんだのが1995年の「ロビンソン」だった。
それは、新曲を聞くときに誰もが持つように「今までにない試みがされている新しい曲」と「その人らしい要素が感じられるどこかなつかしい曲」という2つの感想の後者の方で、その代表曲が「ロビンソン」だったということに過ぎなかったかもしれない。
ただ、何度か聞いているうちにそこにはもっと意図的なものがあるのではないかという推測に変わり始めているので、そのことについて書こうと思う。
たしかに、風のように何かが視界を遮るような音での始まりは「ロビンソン」とは違う。でも、その後のきらめくようなギターと空に広がって行くメロディの展開には共通するものがあるような気がした。
イントロが感じさせる“きらめき”と“広がり”。浮き上がるような心地良さとそこから光を放ちながら遠くへ向かっていくような広がり。それでいて「優しいあの子」には「ロビンソン」の持つ爽快な解放感は薄い。高らかというよりどこか低いトーンで落ち着いている。それだけでも2曲に時間差があるように思った。
同じ流れの中にありながら少しずつ違う。
ご承知のように「ロビンソン」は〈新しい季節〉を迎える歌だ。〈誰も触われない二人だけの国〉で〈宇宙の風に乗る〉歌だ。〈僕ら〉はここで〈生まれ変わる〉。あの曲の清々しさも瑞々しさも、そんな言葉から来ていると言って良いだろう。
「優しいあの子」はどうだろう。
〈重い扉を押し開けたら 暗い道が続いて〉いるのである。単に“扉を開けよう”と歌っているわけではない。例え、扉を開けたとしてもその先にはまだ暗い道が続いていることを知っている人の歌だ。もし20代だったら、扉を開けよう、そして新しい旅に出ようという楽天的な歌になっているのではないだろうか。扉を開けただけでは解決しない、でも、その先には〈知らなかった世界〉が待っている。〈切り取られることのない丸い大空〉がある。そのことを〈教えたい〉と思っている。
同じように“空”が舞台でも「ロビンソン」はそうではない。あの歌の中の〈僕ら〉はまだ空に浮かんでいるわけではない。〈浮かべたら〉という仮定である。しかも〈大きな力で〉という条件もついている。〈僕ら〉が見上げている空には“汚れた三日月”が浮かんでいた。
「優しいあの子」と「ロビンソン」との違いの最たるものが〈あの子〉の存在ではないだろうか。「ロビンソン」は“君と僕”つまり“僕ら”だ。〈宇宙の風に乗る〉のは、歌の主人公の2人ということになる。
〈あの子〉は誰なのだろう。
主題歌になっているNHK連続テレビ小説『なつぞら』の主人公“なっちゃん”でもあるのだろう。ただ、それだけではなさそうだ。