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アルバム『SUPER MUSIC』インタビュー

集団行動 真部脩一に聞く、グッドミュージックの定義「いい音楽は趣味性と普遍性を兼ね備えている」

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 集団行動が4月3日にニューアルバム『SUPER MUSIC』をリリースした。昨年8月にミッチー(Ba)を新メンバーに迎えて制作された本作。その多彩なサウンドからは、DADARAYとのツアー『SUPER MUSIC TOUR -SUPER編-』を経て、ボーカリスト・齋藤里菜をはじめ各メンバーが成長したこと、その結果、バンド表現の自由度が一気に増したことが伝わってくる。中心人物である真部脩一は、集団行動の進化と今後の可能性についてどう考えているのか。アルバム収録曲の制作プロセスとともに聞いた。(編集部)

感情移入を強制せずに、受容してもらうのが理想 

ーーニューアルバム『SUPER MUSIC』リリース前の先行ツアーとなった、DADARAYとの『SUPER MUSIC TOUR -SUPER編-』は大成功でしたね。

真部脩一(以下、真部):DADARAYとのツーマンツアーは本当にやってよかったですね。今回のライブは“対DADARAY戦”と呼んでいて、負けられない戦であるという意識で準備をして取り組んだんですけど、バンドがこのツアーに向けて成長期を迎えたということと、アルバムの制作過程がリンクしたことがすごく良かったと思っていて。この一年間を振り返ってみても、ライブの底上げがなされたと思っています。

ーー『SUPER MUSIC』は、ライブを通して作り上げた結果でもあるのですね。

真部:そうですね。なるべくライブで育てていくアルバムにしたいと思っていました。

ーーライブを観ていてもそうですが、ボーカリスト・齋藤里菜さんの成長も目を見張るところがありました。

真部:それは一番大きかったですね。実際、アレンジメントやサウンドプロデュースという部分は、2ndアルバム『充分未来』とそこまで大きく変わっているわけではなくて。大きく変わったのは、まさに齋藤さんのスキルが上がったことなんです。そのことで楽曲の振り幅を大きくできたし、メンバーがより自由に演奏できるようになってきて。

ーー確かに、「SUPER MUSIC」のような曲から「セダン」まで、幅のある作品になっています。齋藤さんのスキルが上がった点とは?

真部:風格が出てきましたし、僕は癖がとれてきたと思うんです。そして、表現力がついてきたことでコントロールの幅を増やすことができた。もともと、彼女は透明感みたいなものを目指せるボーカリストだと思っていたんですけど、そこからさらによどみが取れてきたというか。

ーー一般的にボーカリストの成長は、いい意味で「癖」を出すことと捉えられますが、「癖」が取れてきたという齋藤さんの成長は興味深いですね。

真部:実は、齋藤さんは今作を作るにあたって、「どういうふうに癖を出したらいいんだろう」ということにものすごく苦悩したんです。途中で吐きそうになったり、田舎に帰っちゃうんじゃないかというところまでいったんですよ。アルバムの制作中にバンドが空中分解する可能性すらあった。その時は僕も限界かもと思っていたし、その悩みはやっぱり、主にボーカルに関してだったんです。

ーーそして真部さんは、齋藤さんが悩む「癖を出す」ところにボーカリストとしての成長を見出したわけではなかった。

真部:そうです。必要なのは癖ではなく、芯の部分、つまり楽曲の語り部としての自意識にあると思っていました。僕は『充分未来』でかなりプロデュースが成功したと思っていて。未完成の状態の齋藤さんに当て書きをするような感覚で、彼女が一番輝くかたちで曲を作る、というサンプルができた。今回はそれを彼女自身が受け継いで、咀嚼することで、『充分未来』では躊躇して踏み込めなかったタイプの楽曲にチャレンジしてほしいと思っていたんです。例えば、明らかにリファレンスがはっきりしすぎているものとか、コミカルなものとか。

ーーコミカルといえば「婦警さんとミニパト」ですね。

真部:そうですね。もともとの芸風でもあると思われるかもしれませんが、実はちょっと違っていて、『充分未来』を経由したからこその力が入っていない、ちょっと洒落たスタイルというか。こういう曲をプロデュースするのって、ボーカルに癖があるとやりづらいんです。どうしても狙いにいった感じになってしまう。言い方は悪いですけど、「キャラクター勝負」になるというか。

 そういうキャラクタービジネスをやるには演技力が足りず、集団行動には、自分語りをできるほどの強烈なキャラクターはない。だから、集団行動ではキャラクターに依存せず、共感や感情移入という部分からは少し離れたところで成立するようなエンターテインメントをやらなければいけない、という縛りがあるんです。そのルールのなかで、試行錯誤を続けて。齋藤さんとも、長い時間をかけてそういった縛りやルールを共有することで、「癖」に対する考え方を含め、色々な誤解が解けてきたのかなという気がします。

ーー「共感」は今のエンタメに必須とされる要素ですけど、真部さんは少し違ったアプローチをしてますね。

真部:そうです。日本で共感を生むのは本音に見えるもの、生活感のあるもので、それがスタンダードになっていることに僕は少し違和感というか、すごく不思議だったんです。共感性というのは本来、マドンナやアクセル・ローズ、あるいはマイケル・ジャクソンだったり、そこまでの人生のドラマを抱えている人が到達できる領域だと思っていて。僕の作りたいポップスは、もう少し「型」に近い。感情移入を強制せずに、ちゃんと受容してもらう、というのが理想なんです。

 そして再現性があり、軽いものであるということ。「軽い」というのは、リスナーがいつでも自分の意思で聴くことをキャンセルできる、洒脱さがあるということです。「再現性」というのは、落語のように何度語られても面白いもの。それがつかず離れずで成り立つものを音楽として作るーーいまのバンド形態でそんなポップスをやろうということが、すごくしっくりきているんです。

ーーなるほど。では歌詞に関してはいかがでしょうか。「皇居ランナー」は特に歌詞、言葉の繰り返しが特徴的ですがーー。

真部:確かにこの曲は特徴的で、ジムで走っている時に作ったんですけど、前作で「歌詞に見切りをつける」というテクニックを学んだんです。こだわりすぎないというか。前は歌詞に対して抑制をかけることにすごく執着していたんですよ。歌詞で語り尽くしたくないし、バランスもとりたいし、なおかつ必要最低限の要素を入れたいと。そうやって推敲を重ねるような作詞スタイルだったのが、前作で一回見切りをつけられたことで、力の抜けた作詞ができるようになってきていますね。淡さのある言葉の中に普遍性を出す、というこれまで自分の持ち味だと思っていたスタイルにとらわれずに作るようになったのが大きいです。

ーー真部さんが緻密にデザインしていく音楽と、バンドの成長が良い意味でクロスして、今作で一つの完成形ができたように感じます。

真部:今作はまず、プロデュースを放棄するところから始めようと考えました。メンバーに手持ちの曲のストックをバンと渡して、「自由に作ってくれ」というところからスタートしようと思ったんですけど、それが全然うまくいかなくて、適材適所にメンバーを当てようと。3作目にしてそれにやっと気づいて、レコーディングの後半では、本当の意味で手綱を緩めて、コントロールはしつつ、気持ちよく走れる状況になりました。

      

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