ドリカムがJ-POPシーンに与えた衝撃、そして楽曲の“スリリングな”仕掛けとは? 本間昭光が語る

ドリカムがJ-POPシーンに与えた衝撃とは?

 18枚目のオリジナルアルバム『THE DREAM QUEST』をリリースしたDREAMS COME TRUE。リアルサウンドでは、J-POPのシーンで活躍するアーティストにドリカムについて語ってもらうインタビュー特集を企画。第1弾では「ドリカムのラブソング」をテーマに、シンガーソングライターのMACOと井上苑子にインタビューを行った。そして第2弾として登場するのは、ポルノグラフィティやいきものがかりを手がけるなど、“J-POP界にこの人あり”と言われる名プロデューサー/アレンジャーの本間昭光。ドリカムとは、2009年に行われたイベント『みんなでドリする? DO YOU DREAMS COME TRUE? SPECIAL LIVE!』で音楽監督を務めるなど、深く関わった経験がある。今回、ドリカムのニューアルバム『THE DREAM QUEST』のリリースにあたって、改めてドリカム楽曲の特徴やその魅力を、プロデューサー/アレンジャー目線で語ってもらった。(谷岡正浩)

「良い歌詞って、みんなが真似したくなる」

ーー本間さんが活動を始められた時期とドリカムのデビュー(1989年)タイミングは、ほぼ同じなんですよね?

本間昭光(以下、本間):そうですね。僕の場合は、デビューとかいうことではなくてもっとふんわりしていたんですけど、だいたいそれくらいの時期から始まっていますね。とは言え、中村(正人)さんはキャリアとしては大先輩なわけですけども。

ーーデビュー当時のドリカムはどんな印象でしたか?

本間:デビューから少し経った頃ですけど、いきなり宇宙船に乗った3人のビルボードが出現したんですよ(※1992年11月にリリースした5thアルバム『The Swinging Star』)。あの当時は、とにかくユーミン(松任谷由実)さんが強い時代で、冬といえば12月にユーミンさんの新しいアルバムが出るから、それをみんなが心待ちにしている、というのが音楽業界的な風物詩のようにあったんですよね。そこにドリカムがドンと出てきた。それまでももちろん存在や曲は知っていたんですけど、このアルバムがあまりにも鮮烈で、そこから聴き込んでいったという感じでしたね。

ーーお聴きになって、まず感じたのは何だったのでしょうか?

本間:それはもう中村さんのわかりやすいソウル愛ですよね(笑)。

ーー『The Swinging Star』のジャケットからも伝わってきますよね。

本間:本当に(笑)。

ーーとりわけ、「決戦は金曜日」に衝撃を受けた、と以前コメントされていましたよね。

本間:ええ。あの曲は今でいうところの“ミクスチャー”ですよね。自分の好きな音楽はこれなんだ! と明確に打ち出すスタイルというのが、それまではなかったんですよね。だからこそ、ドリカムの楽曲は、本場のソウルやR&Bを知らない人たちにも浸透していったと思うんです。で、それは僕みたいな、音楽に携わる人間にとっても少なからず驚きだったわけです。中村さんが敬愛するアース・ウィンド・アンド・ファイアーにしてもブラックとホワイトの融合だったわけじゃないですか? プロデューサーにデイヴィッド・フォスターが入っていたりすることからも明らかなように。同じように、ドリカムがやったことというのは、J-POPというフィールドに、いかに体が動くソウルミュージックを持ってくるかという挑戦だったと思うんですよね。それまではやはり、ソウルやR&Bはどちらかと言うと敷居の高い音楽というイメージでしたから。それをJ-POPできちんとダンスミュージックとして成立させたのがドリカムで、そこに衝撃を受けたんですよね。そしてそれがサウンドだけじゃなく、歌詞においても見事に達成されていたわけです。それまでアメリカのソウルのノリを出している曲はたくさんあったと思うんですけど、それらとドリカムの最大の違いは言葉なんですよ。きちんと日本語の歌詞として合わさるかどうか、それはドリカムにしかできなかったことだと思います。

ーーこれまでの女の子像を軽々乗り越えていくようなアグレッシブさと繊細さ、そして日常にしっかり結びついた歌詞はあっという間にリスナーの物語になっていきましたよね。

本間:そう。良い歌詞って、みんなが真似したくなるんですよね。ブレーキランプを5回踏むとか。それがポップスということだし、そこで果たす言葉の役割は本当に大きいですよ。ドリカムが出てきてしばらく経った頃は、J-POPにおいては、わりとストレートな表現が多かった時代だったんですよね。でも、それまでの音楽の世界では、歌謡曲もそうでしたし、ユーミンさんや(井上)陽水さんがやってきたような深い詩世界というのが一方ではあって、それをドリカムが融合したんじゃないかなと思います。そしてドリカムのデビューから少し遅れて槇原敬之くんが出てきて、さらにその後にaikoさんが続くわけで、日本のポップスにおける歌詞の役割をもう一度考え直すきっかけになったのがドリカムだったと言えるのではないでしょうか。

ーーなるほど。

本間:だから、ドリカムがデビューした80年代後半というのは、日本のポップミュージックシーンにおける歌詞の空白期間だったように思います。80年代の高揚した時代感から、細部にこだわっていく時代へ、もう一度揺り戻しが来た時期だったんじゃないかなと思いますね。それは、ドリカムのサウンドにも表れていますよね。とても大胆だけど、緻密ですから。好きを実行するには、やはりとことん細部にこだわらなければいけないんですよね。

ーーその細部こそが、音楽への“愛”ですよね。

本間:愛であり、魂ですね。最後の最後まで悩み抜いて細部を詰めていく、そこに魂が宿るんですよね。中村さんがアースのモーリス・ホワイトに初めて会った時に、「僕はあなたの音楽をパクって成功できたんだ」って正直に打ち明けたら、モーリスが「それでいいんだ」って言ってくれたというエピソードがあって。その話を聞いた時に、それを堂々と言える中村さんのマインドと、それを「いいんだ」って賞賛するモーリス・ホワイトのマインドの共鳴ぶりに感動してしまいました。中村さんは便宜上、「パクった」っておっしゃっていますけど、でもそれは絶対パクリではないんです。パクリとオマージュには絶対的な違いがあって、パクリの場合はたとえば流行っているからやってみるとかそういうことなんですけど、一方でオマージュは日常から聴き続けて自分の血肉になっている音楽を自分なりに表現するということ。そこに迷いがないんです。小手先ではないんです。堂々と“ラブ”を宣言している。だからこそ、違和感なくオリジナルに昇華していけるのだと思います。

ーーその部分があらゆる表現の出発点ですよね。

本間:すべての芸術というのは模倣から始まるんです。そこからオリジナルを生み出していくというのがこれまで連綿と続いてきた人類の芸術活動だと思います。クラシック音楽がわかりやすい例で、同じ譜面を演奏しても、やる人が違えばまったくの別物になったりしますからね。

ーー本間さんは、若手のアーティストのプロデュースも多く手がけてらっしゃると思うのですが、突き抜けた“好き”があるかどうかというのは、重要なポイントですか?

本間:かなり重要です。なんでもいいんですよ。好きからは少しずれるかもしれないんですけど、「とにかく売れたいんだ」とかでもいいわけです。明確に自分たちの意志やソウルを持っていないとスタートラインにも立てないと思いますね。それはアーティストに限った話ではなく、作詞家や作曲家、アレンジャーにしても同じことが言えると思います。こういう曲が書きたい、あるいは、この人に書きたい、でもいいんです。その強い気持ちがいつでも出発点ですよ。

ーーデビュー当時のドリカムには、やりたい音楽への気持ちが溢れていたんでしょうね。

本間:いやあ、そうでしょうね。じゃないと、これだけ多くの人を感動させることはできませんから。

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