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EAST END×YURI「DA.YO.NE」が日本語ラップ史に残した功績とは? YURI復帰を機に振り返る

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 90年代にEAST END×YURI名義で「DA.YO.NE」などのミリオンヒットを生み出した歌手・市井由理が、約20年ぶりに音楽活動に復帰する。復帰作となるのは、ヒップホップグループ・MAGiC BOYZの1stアルバム『第一次成長期~Baby to Boy〜』(コラボしてたの!?盤)収録曲「パーリーしようよ」。同曲は、RIP SLYMEのPESが作詞作曲を担当し、歌詞に<だよね…>が取り入れられるなど、市井の活動全盛期を感じさせる要素が加わったのがポイントだ。

EAST END×YURI『denim-ed soul』

 EAST END×YURI「DA.YO.NE」は、90年代の日本語ラップ史を語る上で欠かすことのできない一曲である。EAST ENDは1990年に結成し、GAKU-MC、ROCK-Tee、YOGGYの1MC・2DJという珍しい編成で活動を開始。1993年には、RHYMESTERやMELLOW YELLOWらとともヒップホップ・コミュニティ「FUNKY GRAMMAR UNIT」を立ち上げ、当時盛り上がりつつあった日本語ラップシーンの一翼を担うことになる。

 90年代初期〜中期にかけての日本語ラップシーンには、大きく分けて3つの流れがあった。ひとつは、原宿の歩行者天国で活動していたKRUSH POSSEやCRAZY-Aなどの流れを汲み、後にYOU THE ROCK★、RINO、TWIGYらによるユニット「KAMINARI-KAZOKU.」などへとつながっていく、ストリート上がりの一派。なかでも、ハードコアなリリックを英語のようなフロウで畳み掛けたMICROPHONE PAGER(MURO、TWIGYが在籍)は、その後の日本語ラップのあり方を大きく変えるきっかけとなった。

 もうひとつは、高木完や藤原ヒロシなどによる日本初のヒップホップ・レーベル<メジャー・フォース>から発展し、スチャダラパー、TOKYO No.1 SOUL SET、キミドリなどによるクルー「Little Bird Nation」へとつながっていった一派。彼らは後に渋谷系といわれた音楽シーンともつながりを持ち、特に1994年にスチャダラパーが小沢健二と共演した「今夜はブギー・バック」は、50万枚を超える大ヒットとなり、今なお90年代日本語ラップのクラシックとして高い評価を得ている。

 そしてもうひとつが、EAST ENDを擁する「FUNKY GRAMMAR UNIT」の一派だった。RHYMESTERらは理論の面でも日本語ラップ・ヒップホップのあり方を模索し、MICROPHONE PAGERやスチャダラパーなどの方法論にも大きく影響を受けながら、より幅広いリスナーへとヒップホップを届けるためのアプローチを重ねていた。その最大の成果のひとつが、EAST END×YURI「DA.YO.NE」だった。

 東京パフォーマンスドールを卒業したばかりの市井由理をラップに迎え、1994年8月にリリースされた「DA.YO.NE」は、地方から徐々に人気を集め、日本のヒップホップでは初のミリオンセラー(101.8万枚)を記録。わかりやすく、誰もが口ずさみやすいフックの<だよねー>は、RHYMESTERのMummy-Dがラップの英語的なニュアンスを日本語に翻訳したもので、日本中の若者たちにヒップホップ・日本語ラップを認知させる大きなきっかけとなった。そのインパクトは、「今夜はブギー・バック」に負けずとも劣らないものだった。現在30代前後の方には、この楽曲ではじめてヒップホップを意識したという方も多いだろう。

 しかし一方で「DA.YO.NE」は、翌1995年に日本国内の主要都市の方言バージョンが多数リリースされたこと、EAST END×YURIが「MAICCA〜まいっか」や「いい感じ やな感じ」といった類似性の高い楽曲を続けてリリースしたことなどにより、特にヒップホップリスナーからはセルアウトと見做され、賛否両論も巻き起こった。ECDによる楽曲「MASS 対 CORE feat.YOU THE ROCK☆ & TWIGY」に代表されるように、当時の日本語ラップシーンでは、メジャーVSアンダーグラウンドの対立構造が顕在化していた時期だったことも、評価が別れる一因となったといえよう。EAST END自身も、「DA.YO.NE」以降の活動は不本意だったと、後に語っている。

 しかしながら、「DA.YO.NE」のヒットが新たなヒップホップリスナーを開拓し、1990年代後半から2000年代前半における日本語ラップのムーブメントにつながったこともまた事実である。同じく「FUNKY GRAMMAR UNIT」に所属していたRIP SLYMEやKICK THE CAN CREWの成功の礎となったのが、「DA.YO.NE」だと見ることもできるだろう。このムーブメントはEAST END自身にとってもプラスとなり、2003年に10年ぶりのリリースとなったスタジオアルバム『Beginning of the Endless』には、「FUNKY GRAMMAR UNIT」周辺のアーティストが多数参加。同アルバムの最後に収録された「DAYONE(デイワン)」は、「DA.YO.NE」の呪縛からの解放を象徴する一曲で、EAST END本来の洒脱なトラックとテクニカルなスクラッチ、GAKU-MCのリリカルで等身大なラップが堪能できる、隠れた名曲である。

      

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