宇多田ヒカル、新作『Fantôme』を大いに語る「日本語のポップスで勝負しようと決めていた」

宇多田ヒカル『Fantôme』を大いに語る

「日本語の“唄”を歌いたかった」

——その緊張状態が好転したというか、エンジンがかかってきたのはどのあたりからでしたか?

宇多田:初めてパソコンで歌詞を書き出したんですよ、作詞の最後のほうで。今回、特に歌詞が難しかった「花束を君に」と「真夏の通り雨」は、かなり時間がかかったんです。幾つかのキーワードがぽつぽつと浮かんで来ても、題材がデリケートなだけに上手く進まなくて。あと自分でも書くのがセラピーみたいな感じもあったので。でも途中からさっきお話したスケジュールのこともあって、かなり集中的に巻いてかなきゃならないような時期に差し掛かると、“1週間後に絶対2曲”とか、以前の私からしたら絶対不可能なペースで歌詞を仕上げなくちゃならなくなって。それまではトラックを繰り返し聴いて、ひたすら歩いたりカフェに入ったりして、ノートに書いたいろいろな言葉を転がして転がして、という感じだったんだけど「もうそんなヒマねえ!」と。キャンディも噛み砕いたらすぐ飲んじゃうようなテンションで。

――ガリッ! ゴクリ! みたいな?(笑)。

宇多田:そうそう(笑)。で、家でラップトップの前に座って音を聴いてどんどん書いていっちゃおうと思ったんですよ。もう出てきた言葉をどんどんぶち込んで羅列して(笑)。で「違うな」と思ったら別の候補に差し替えたり。パズルを組み立てていく感じで。これまではノートに手書きだったんですが、それだと雑な字で大きく書いたりしているから、10とか20にページがまたがるとまとまって見返し辛いじゃないですか。そうしたら意外と2日で書けちゃったりして。作詞は長いと3カ月とか、ヘタすれば1年なんてこともあったのに。だからスタッフも驚いて。私は「ふふふふふ」と(笑)。

——些細な発想の転換が勝因に繋がったんですね。

宇多田:自分でもびっくりでした。それでクオリティが落ちたわけでもなかったし、よかったなって。過程や資料という意味では何も痕跡が残らないけど、まあそれも今回はこういうアルバムだしすっきりしていていいのかなって。

——今回の作詞からは日本語を重視しているという印象を受けます。実際、英語と仏語のフレーズがありますがそれもごく僅かですし。これは最初から決めていたプランだったのですか?

宇多田:いま思い出しましたけど、そう言えば1年半くらい前から「次のアルバムは日本語で歌うことがテーマ」と話していましたね。日本語の“唄”を歌いたかったんです。「真夏の通り雨」も始めから日本語だけの歌詞にしたかったし、日本語で歌う意義や“唄”を追求したかった。いまの自分の感覚だと、英語を使うことが“逃げ”に感じられて。あくまで自分の話ですけど、私の場合、歌詞に英語を用いる時は日本語ほど重要ではない言葉選びとか、シラブルの数が合うからとか、言いたいことを意図があって英語で言い直すとか、そんな感じだったんですね。まあ『First Love』の時はあの時なりに重要な使い方をしたりもしていたんですが。でも今回はそういうやり方だと「100パーの本気じゃない!」みたく思えて。だから本当に必要な言葉だけを並べて、しかもそれが自然と染み入るような日本語であって、尚美しいと思ってもらえる歌詞を目指したかったんです。

——「花束を君に」と「真夏の通り雨」の2曲は、まず4月に配信限定でリリースされましたね。

宇多田:正直、どんな反応が返ってくるのかがすごく不安でした。私、この2曲の作詞で気付いたんですけど、何だかんだ言っても、すごく素直に思ったことを歌詞に書くタイプなんだなって。それが初めて分かったんですけど……。

——あの、すみません……そこ、いまですか? 今更ですか?(笑)。

宇多田:いや、いままでも振り返ると露骨に出していたんだなって。これでも考えていたつもりだったんですよ。最初の結婚の後は「結婚したからどうこうみたいな先入観で聴かれるのはイヤだな」とか思ったし(笑)。今回はそれのもっと極端で難しいバージョンみたいなアルバムだったから。それでも「花束を君に」は国民的な番組(NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』)の主題歌だったので、いつにも増して意識的に間口を広げて作詞をしたんです。オフコースとかチューリップとか、休んでいた頃に好んで聴いていたエルトン・ジョンの「Tiny Dancer」(※「可愛いダンサー~マキシンに捧ぐ」。1971年)の和のバージョンみたいなものをイメージしながら、軽やかな感じの“開いた”曲を目指して。いろんな状況で、いろんな人に当てはまる曲になればと思って。

——なるほど。

宇多田:でもリリースされたら「これ、お母さんのことじゃない?」とすぐに気付いた人が多かったみたいで。しかも同情というわけでもなく、そこを踏まえつつ感情移入してくれていて。それが私にはすごくポジティブに感じられたんです。もうみんな次のアルバムは「お母さんのことだ」と分かっているんだから、なおさら母の顔に泥を塗ることのない、最高の作品にしなければと強く思いましたね。その後に残っていた歌詞を書く上で背中を押されたというか、とても勇気になって。(この2曲を除く)アルバムのほとんどの歌詞は、そこからの約3カ月で一気に書き上げました。

——本当に? ものすごい巻きっぷりだったんですねえ。

宇多田:最短記録です(笑)。まあそこまでが6年とか長かったけど(笑)。もちろん休んでいた期間とかそれ以前からあった元ネタもあったけど、本当に基礎みたいなものだったし。だから本当に4月から7月までの3カ月で一気に作ったんです。

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