宇多丸が語る、名著『ヒップホップ・ジェネレーション』をいまこそ読むべき理由(前編)

宇多丸、ヒップホップの名著を語る

磯部「公民権運動の延長線上にあるということが分かりやすい状況になった」

磯部:ちなみに、本書はタイトルにもあるように〝ヒップホップ・ミュージック〟ではなく、あくまでも〝ヒップホップ・ジェネレーション〟について書かれたものなんですよね。つまり、ライムやトラックではなく、ムーヴメントについて書いている。そこも好みの分かれるポイントなのかなと。また、ここまではっきりと公民権運動の延長線上にヒップホップを位置付けるというのも、日本人としては理解しづらい部分もあるかもしれません。

宇多丸:単純に、音楽によって「ブラックカルチャーはクールである」っていう印象になるだけでも、それは大きな意味でヒップホップジェネレーションの前進と捉えることができるだろうから、そういう語り口も全然いいんだけど、かっこいいし楽しいけれど何でもないものって、位置付けがしにくいというか、位置付けてもしょうがないところがあるよね。ただそれが、歴史の発展と一致している時期というのがあって、僕は本書でもその時期についての文章がやっぱりいちばん面白いと思うし、わくわくするところなんだよね。

磯部:『ヒップホップ・ジェネレーション』では70年代から90年代半ばぐらいまでの話がメインで書かれていますけど、その後、ラップ・ミュージックではサウスが盛り上がって、一見すると、ニューヨークのオールド・スクールと断絶されていたり、コンシャスじゃなかったりするものが人気になっていったじゃないですか。だから、この本を読んだ時、素晴らしい内容だけど、現状と接続しにくいなぁと思ったんですよ。単に昔話として捉えられるんじゃないかって。ただ、その後、新装版の解説で高橋芳朗さんがフォローしているように、ケンドリック・ラマーが出てきたり、ブラック・ライヴズ・マターが起こったりして、今のラップ・ミュージックも、この本に書かれているような公民権運動の延長線上にあるということが分かりやすい状況になりましたよね。

宇多丸:そうだね。ケンドリック・ラマーが登場したのは、その間のことを考えるとかなり異質なことだけれど、逆に言うと、その間はどれだけ社会とヒップホップが離れていたかということでもあって。例えば最近は、同性愛に対する批判は辞めようというムードがあったり、やっぱり進化はあったんじゃないかな。これって、昔のことを考えるとびっくりするような変化だから。ヒップホップシーンも、ちゃんと変わるんだなって。

磯部:ただ、この本が面白かったのは、〝ヒップホップ・ジェネレーション〟と言っても、ヒップホップが社会を変えたというよりは、ほとんど暴走に近いような形で突き進んでいって、それに対し、ブラック・コミュニティの運動家やフェミニストがアプローチして軌道修正していったという話が結構出てくるんですよ。例えば、映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』(F・ゲイリー・グレイ監督、15年)には歴史修正主義的な側面があって、N.W.A.をまるでコンシャスなグループだったかのように描いていましたけど、彼らは警官だけでなく目につくもの全てに暴言を吐いていたわけで、女性蔑視的な側面も忘れてはいけない。で、本書では、アイス・キューブに、政治活動家のアンジェラ・Y・デイヴィスが女性にもリスペクトを払うよう、根気強く説得するシーンがあるんですよね。また、アイス・キューブのアジア人蔑視的な楽曲「ブラック・コリア」に、コリアン・アメリカンのコミュニティが抗議をして、やがて、和解に至るまでの過程も詳細に書かれていて読み応えがあります。

宇多丸:それって真実だよね。バンバータが言ってることだって、そういうことじゃない。元は不良のわけわからない文化を、こういうものだって方向付けることで、社会的に役立つ場合もあるという。

磯部:B・ボーイやラッパーは、もともと、ヒップホップ・カルチャーを政治運動としてやっていたわけではなくて、荒廃したサウス・ブロンクスの中でパーティを開催していたら、それが図らずも政治的な意味を帯びてしまった訳ですからね。

宇多丸:そうだね。チャック・DとかKRS・ワンを中心にして話をすると、ヒップホップをアーティストの自発的な運動みたいに考えてしまいがちで、日本でも80~90年代にはそういう捉え方があったけれど、なにも考えていなかったその他大勢を忘れちゃいけない(笑)。だから、この本は書き方がフェアだよね。そこは気をつけて書いていると思う。

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