渋谷公会堂、一時閉鎖へカウントダウンーー市川哲史が綴る、名物ホールの歴史と裏話

 ふと気づいたことがある。

 かつて東京のコンサート会場といえば、ホールだった。

 日本青年館(1360人)、新宿厚生年金会館(2062人)、渋谷公会堂(2084人)、中野サンプラザ(2222人)、そしてNHKホール(3601人)。

 特に70年代80年代はサンプラも厚年も青年館も、もっぱら外タレの来日公演のイメージが強い。そりゃそうだ、その頃の国産ロックはライブハウスで精一杯だったのだから。

 やがてバンドブームを経て日本のロックの天下となるわけだが、いつしか数百人規模のライブハウスと数千人以上の武道館やアリーナやメガ規模のドームに、ライブのハコが二極化していく。いや正確に言うとこの20年の間で、座席指定のホール形式から自由なオール・スタンディング形式へと、ライブのスタイル自体が移行した観があるのだ。

 だから90年代中盤以降は同じ2000人前後でもホールではなく、スタンディング形式が可能な大型ライブハウス的なハコが続々と造られていった。1993年Zepp Tokyo(2709人)→1996年赤坂BLITZ(1944人)→2000年SHIBUYA AX(1700人/2014年閉館)→2008年TOKYO DOME CITY HALL(最大3120人)――カタカナ表記でいいじゃん。

 並行して、新宿厚年が2010年3月、青年館が2015年3月に今回の渋公に先んじて既に閉館してしまった。正式発表はないものの、2020年東京五輪に伴う再開発で中野サンプラザも閉館が噂されている。

 ホール文化の終焉、なのだろうか。

 日本人はホールが好きだ。というか<エンタテインメントをホールで愉しむ>的な日本独自の文化習慣は、TVの刷り込みによるものの気がする。昭和の時代に少年少女の心を摑んで離さなかったバラエティー番組の数々。そのほとんどが都内ホールから中継される、公開放送だった。中野サンプラザは『カックラキン大放送』、青年館は『8時だヨ!全員集合』、渋公に至っては『全員集合』以外にも『NTV紅白歌のベストテン』『トップテン』と、まさにお茶の間におけるエンタの窓口のようなものだろう。

 そういえばhideが、幼児の頃『全員集合』の公開生放送を観に行ったことをいつも自慢してたな。くそ。

 屁理屈かもしれないが、そんな幼少から刷り込まれた<ホールの風景>がバンド双六を潜在的に下支えしたであろうことは、想像に難くない。いまやBABYMETALのライブでサークルモッシュが当たり前になるなど、ライブは<能動的なエンタ>の代表格として認知されているだけに、ホール・ライブにアーティストもリスナーも関係者も皆懸命だったあの頃もまた、愉しく想い出されるのである。

 そういえば中野サンプラザは、AKB48やももいろクローバーZが初ホール・コンサートを実現させ、モーニング娘。がホームグラウンド的に常用していることから、いまや全アイドル憧れのコンサート会場、なのだそうだ。そうか、サンプラザが<アイドル版渋谷公会堂>になってるのかと思うと、ちょっと嬉しくなった。

■市川哲史(音楽評論家)
1961年岡山生まれ。大学在学中より現在まで「ロッキング・オン」「ロッキング・オンJAPAN」「音楽と人」「オリコンスタイル」「日経エンタテインメント」などの雑誌を主戦場に文筆活動を展開。最新刊は『誰も教えてくれなかった本当のポップ・ミュージック論』(シンコーミュージック刊)

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