『SUMMER SONIC』今後のビジョンは? 「アジア最大の音楽見本市になっていけばいい」

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クリエイティブマンプロダクションの平山善成氏。

 近年の音楽シーンにおいて大きな位置を占めるようになった「フェス」というものは、果たしてどのように育ち、どう変遷してきたのか。フェスを巡る様々な状況をルポタージュしてきた当サイトの連載「フェス文化論」では、“特別編”として様々なフェスの作り手にインタビューを行い、その設計思想や狙いを解き明かしてきた。

そして今回は、いわゆる「三大フェス」の一つとされる『SUMMER SONIC』についての取材が実現。「都市型フェス」として産声を上げた由来、ラインナップの幅を広げてきた経緯、そして国際交流に力を入れ「アジア最大の音楽見本市」を目指すこの先のビジョンについて、クリエイティブマンプロダクションの平山善成氏に話を聞いた。(柴 那典)

「『フェスはこうあるべき』みたいな既成観念は勝手に作られたもの」

――『SUMMER SONIC』は今年で16年目を迎えます。最初の時点でフェスのコンセプトは定まっていたんでしょうか。

平山善成(以下、平山):すでに『FUJI ROCK FESTIVAL』が97年に始まっていましたからね。当然同じものをやってもしょうがない。イギリスの『Reading and Leeds Festivals』のように東京と大阪で同時開催するというコンセプトのロックフェスを日本でもやろうと考えました。2000年の初年度は富士急ハイランドで開催しましたけど、2年目からは幕張に会場を移して、理想に近い形になった。そこから回を重ねて今に至るという感じです。

――実際に『Reading and Leeds Festivals』にも行かれましたか。

平山:行きました。ただ、実際に行ってみると、レディングの会場は都市ではなくて牧場のようなところなんです。広い草原の中にたくさんステージがあって、幕張メッセのような近代的な街の中でフェスをやっている感じではない。そのギャップはちょっとありましたね。

――都市型ロックフェスを、しかもスタジアムと幕張メッセのような巨大なコンベンションセンターを同時に使って開催するという発想は世界的に見ても新しかったということでしょうか?

平山:そうかもしれないですね。それまではやはりフェスといえば野外のイメージが強かった。インドアの空間や野球場という既存の建物の中で開催するという考え方は、今振り返って考えてみると新しい考え方だったかもしれないですね。

――ただ、普段からイベントを行っていた場所だけに、『SUMMER SONIC』が場所としての「フェスらしさ」を獲得するのは逆に難しかったのではないかと思います。その点について、初期の頃はどう見ていましたか?

平山:どうしても『FUJI ROCK FESTIVAL』と比較するとフェス感のようなものは出しにくいんですよね。既存の建物の中でやるし、他のプロモーターやイベント会社が同じ会場を使うことだってある。その中で『サマソニ』という冠をつけた時に、「『サマソニ』=フェス」というイメージを獲得するには数年かかったと思います。特に幕張メッセはどうしても見本市的なイメージが強い。でも、そういう面があってもいいとは思っていたんですよね。

――あえて見本市のイメージを引き受ける、ということでしょうか。

平山:そうです。特に『サマソニ』は、初年度から活きのいい新人アクトを紹介してきたという自負もあります。

――たしかに、00年のラインナップには当時新人バンドだったコールドプレイとシガー・ロスを抜擢していましたね。その後もアークティック・モンキーズをいち早くブッキングしたりしてきた。

平山:そうですね。新人の見本市的な部分は今でもあります。そういう側面を大事にしつつ、ステージも増えて規模が大きくなっていくにつれて、全体的なフェス感が出てきたのではないかと思います。なにしろ、最初は2ステージでしたからね。今の『サマソニ』に比べるとずいぶん小規模なものだった。でも、当時はそれをやるだけでスタッフは手一杯でした。そこからスタートして、徐々にフェスのあり方を更新してきた感じです。

――ゼロ年代初頭くらいの『サマソニ』は、あくまで洋楽ロック主体のフェスでした。その後、だんだんとジャンルの幅を拡大したラインナップになっていきます。この変化の背景にはどういった意図があったんでしょうか?

平山:まずはステージが増えて、多くのアーティストにも出てもらえるようになったということがあります。そこから、いろんな広がりを見せるようになった。清水(クリエイティブマンプロダクション代表取締役社長・清水直樹氏)は「誰が来ても楽しめるフェスにしたい」ということはよく言っていますね。ロックのアーティストだけじゃなくて、R&Bやヒップホップも、K-POPもアイドルも、どんなアーティストが来ても『サマソニ』ならOKになっている。発表の時に「このアーティストは違うんじゃないか」とロックファンから批判が来ることもあるんですけど、でも実際に当日を迎えてみると人が沢山入って盛り上がっている。それならOKだと、こちらとしても捉えています。「フェスはこうあるべき」みたいな既成観念は勝手に作られたものだし、『SUMMER SONIC』としては「今年はこれを見てください」と提案しているだけなんですね。

――そういう発想はいつ頃に生まれたんでしょうか。

平山:初年度からそうだったと思います。JB(ジェームス・ブラウン)のようなファンクの大物も出演していた。その時点で、『SUMMER SONIC』のミクスチャーなコンセプトはあった。それが基盤になって、年月を経て、ブラック・アイド・ピーズやビヨンセが出る流れになってきたのかなと思います。

――では、本格的にラインナップの幅が広がってきたターニングポイントというといつ頃でしょうか?

平山:2007年にブラック・アイド・ピーズが出た年ですね。この年の盛り上がりがきっかけになって、ロックファンだけじゃなくてポップミュージックのファンの人もこういうフェスを求めていると実感しました。海外のヒットチャートのトップにいるような人たちが『SUMMER SONIC』に出ていてもおかしくない。そういう確信があって、それ以降はビヨンせやジェイ・Zが出るという流れに繋がってきていますね。

――近年でいうと、リアーナが出たときはピットブルやKE$SHAのようなR&Bやポップスのメジャー感あるアーティストが並んでいました。

平山:その頃からブッキングも意識していて、一日はポップ系の日、もう一日はロック系の日とか、そういうコンセプトを作るようにしていました。ああいうポップ・アイコンになり得るアーティストがヘッドライナーをつとめるようになったことで、『サマソニ』の幅も広がったと思いますね。

――『FUJI ROCK FESTIVAL』と『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』と『SUMMER SONIC』の三大フェスの中でも、リピーターが比較的少なく、ヘッドライナーによって毎回ガラリと客層が変わるのが『サマソニ』の特徴だと思います。そのあたりはどうでしょうか。

平山:そうですね。『サマソニ』が一番、年ごとのお客さんの入れ替わりが多いと思います。たとえば、昨年だとアークティック・モンキーズがヘッドライナーで出て、今年はファレル・ウィリアムスが出るとなると、やっぱりファン層が違う。それが良い循環になっていると思います。『フジロック』は3日間必ず行くという人が何万人かいて、それがずっと続いてきている。『サマソニ』はそうではなく、毎年来てくださっている人がベースにいて、プラスその年ごとに来る人が変わる。そう考えると「一度は来たことがある」という延べ人数は他のフェスに比べても多いと思います。それが『サマソニ』の強みであり、特徴だと思いますね。

――もうひとつ、近年の『SUMMER SONIC』はアトラクションの充実も特徴にあげられると思います。お笑いやアイドルのライヴを行うサイドショーのステージがあったり、アート作品を展開するエリアもある。これはどうでしょうか。

平山:そういう側面があった方が『サマソニ』らしいというイメージはありました。ライブ以外にも「何でもアリ」感があっていい。意識してああなっているわけではないですけど、結果としていろんなものが展開される場にはなってきています。

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