地下アイドルは「就活」とどう向き合った? 姫乃たまが振り返る「学業」と「活動」の両立

 進学先は文学部でした。授業カリキュラムが変わっている大学で、文学部の中でメディアの勉強もできるようになっていました。

 この大学と学部を選んでくれたのは、情報の授業を受け持ってくれていた高校時代の恩師です。在学時から、地下アイドルの活動を応援してくれていた彼女が、きっと仕事の役に立つだろうと教えてくれました。

 高校を卒業する少し前から、出版社に出入りするようになっていた私は、編集者の仕事に興味があり、雑誌に関する講義を主に履修するようになりました。メディアを専攻する学生は、テレビの制作に携わりたい子が多いようで、編集者を志望している学生は数少なかったため、自然と少人数での講義になるのも魅力的でした。

 しかし、現実は恩師のはからいとは反対に、大学で学んだことが活動に役立つことはほとんどなく、むしろ地下アイドルとして活動していたからこそ、大学の課題で高評価されることが増えてきました。

 4年生になり、テレビの制作や編集をやりたくて入学してきた学生が、次々と事務職や保険の営業職に就くのを、じっと眺める日々が続きました。

 大学の4年間で、地下アイドルの経験を活かして原稿を執筆する機会が増えていた私は、この原稿たちが就活で活きると信じて、執筆に打ち込んでいました。そして、気がついたら就活に乗り遅れていました。それでも卒業するギリギリまで、自分は正社員の編集者になるのだと信じて疑っていませんでした。なぜあそこまで純粋に信じていられたのか、数か月前の自分が甚だ疑問です。

 しかし、私が志望していたのは、斜陽産業であるヌードグラビア誌(コミックではなく、写真のエロ本)の編集者だったため、卒業間近に休刊が相次ぎ、部署ごと潰してしまう出版社が続出しました。現役の編集者が冗談を聞いた時のように笑って「エロ本の編集者は、やめな」と言うようになり、私の就活は始まる前に終わりを迎えました。

 いま思えば就職とともに活動を辞めるのでは遅く、卒業する前に余裕を持って辞めて、就活するべきだったのです。

 留年して学費(と、学費の1/3ほどもある高額な施設維持費)を払うのが嫌で、大学はストレートで卒業し、腰を据えて地下アイドルという名のフリー(ライ)ターになる覚悟を決めたのです。

 私はひょんなことから地下アイドルになって、無縁だと思っていた文武(?)両道ができました。ただ、最後の詰めがいつも甘かっただけです。私はこれからどうなるのでしょう。

 数週間後にはフリーランスとして社会に放り出されてしまう漠然とした不安の中で思うのは、悪いことをして捕まったら、報道されるときに「自称アイドル」って書かれるのかなって、それだけです。

■姫乃たま(ひめの たま)
1993年2月12日、下北沢生まれ、エロ本育ち。アイドルファンよりも、生きるのが苦手な人へ向けて活動している、地下アイドル界の隙間産業。16才よりフリーランスで開始した地下アイドルの活動を経て、ライター業も開始。アイドルとアダルトを中心に、幅広い分野を手掛ける。そこそこなんでもやります。仕事、ください。

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