AKB48高橋みなみは何を背負ってきたか? 一年後の卒業発表に見る、“総監督”の重責

 だからこそ、次期総監督に横山由依を指名することには、相応の苦しさがあっただろう。自身が務めてきた立場が必要不可欠であることは重々承知していても、総監督が継承されることはそのまま、高橋が背負ってきたある種の呪いを後輩にパスすることでもある。そのパスをいかにソフトランディングさせるのか、試行錯誤するために設けられたのが卒業までの一年間という時間なのだろう。

11月22日深夜にTBSで放送されたAKB48・チームK所属の田野優花のドキュメンタリーでは、横山のキャプテンシーに引っぱられながら意識改革がなされていく田野の姿が描かれた後、ラストで田野自身の口から「キャプテンをやりたい」という将来の夢が語られた。それは横山の背中を見ての言葉だったが、この時点では横山もまだAKB48グループを引っ張る“次期”高橋みなみ的ポストにいたに過ぎず、田野が「向いていると思う」と自認する自らのキャプテン像も、まだまだ幾重か先の未来を描いているように見えた。その楽観的な振る舞いは、もはや言うまでもなく高橋みなみという支柱がまだいてくれることを前提にしたものだった。しかし、これからの一年は横山から“次期”という但し書きが外れ、田野ら次世代が中枢的な立場に否応なく近づかなければならない助走期に入る。その準備のために、一年という設定期間はどうしたって必要なのだろうし、AKB48が組織として永らく続いていくことが前提になっているからこそ設けられた猶予期間でもある。願わくはそれぞれが手にする新しい立場が、現在よりも希望に満ちたものであってほしい。

 最後に付すならば、これからの一年、高橋みなみという存在を見届けることが心地よいものになればと思う。先に、高橋をAKB48の手綱と表現をした。常に手綱として立ち続けなければならないからこそ、その手綱に最も拘束されてきたのは他ならぬ彼女自身だった。ここからの一年は、彼女がそのくびきから解かれていくプロセスでもあるのだ。もう長い間、ファンは「総監督」という言葉に象徴される、組織を締める役柄としての高橋みなみしか目にしていない。「総監督」としての立場が完全に彼女の人格に張り付いたものと錯誤しかねないほどに、組織と彼女とを結びつけて考えることに慣れてしまった。しかし、高橋がAKB48に入った当時は、この組織に居続けることに今ほど容易に意義を見出せない時代だった。つまりソロの芸能人へのあくまで一時的なステップとしてこのグループを捉えることが当たり前だったはずである。卒業発表に引き続く言葉の中で、自身と同じくソロデビューを目標にする横山に総監督を託すことを、「夢から遠ざけることになるかもしれない」と表現したのは、多分にこのグループに所属することの「個人」としての意義を念頭に置いた言葉である。彼女が卒業の先に、48グループにどのように関わるのか、あるいは距離を取るのかはまだ見えない。しかし、いずれにせよこの組織に所属し、大きすぎる貢献をしてきたことがこの先、高橋みなみ「個人」として報われるのならば幸いだと思う。

■香月孝史(Twitter
ライター。『宝塚イズム』などで執筆。著書に『「アイドル」の読み方: 混乱する「語り」を問う』(青弓社ライブラリー)がある。

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