AKB48高橋みなみは何を背負ってきたか? 一年後の卒業発表に見る、“総監督”の重責

 48グループが圧倒的な知名度を獲得し、関わる人員の数もかつては想像できなかったほどに膨れ上がるのと歩調を合わせるように、運営が恣意的に仕掛ける“サプライズ”も大掛かりになっていく。時に露悪の度を越したような企画に、48メンバーは幾度も振り回され、肉体的にも精神的にも揺さぶられることになる。そのたびに、多人数のメンバーの動揺を受け止める支柱となり、すぐさま前を向かせるための手綱となったのが高橋みなみだった。恐ろしいスピードで展開するサプライズに直面しても、メンバーたちは即座にそれに順応せざるをえない。そのための指揮者として高橋みなみは存在した。常に目まぐるしく変化する状況を彼女が受け入れ支柱として立ち続けることが、誰にとっても当たり前のことになっていた。そう思い返す時、外部に向けて興味を持続させるために人工的に「波乱」を生み出してきた運営は、本来メンバーの一人でしかない高橋みなみがいてくれることに甘え続けてきたのではないかとさえ思えてくる。

 大規模なチーム組閣にせよ、今では受け手もすっかり慣れきってしまった総選挙というあからさまな順位付けにせよ、度の過ぎた仕掛けに不服を訴えるメンバーも受け入れないメンバーももちろんいたし、それもまた各々に一人前の理由があっての拒否だったはずだ。しかし、彼女だけはそれができない立場にいた。誰よりも早く受け入れて前を向き、組織としての活動を成立させなければならなかった。あるいは、48グループがはたから見れば理不尽さを温存する体質に映った時、その不合理さや息苦しさを体現する人物として表象されるのも高橋みなみその人だった。シンボルとして孤高の存在だった前田敦子とはまた別の意味で、彼女はあらゆるベクトルから向けられる有象無象の視線の矢面に立ち続けた。

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