メジャーデビューシングル『愛が叫んでる』インタビュー
ななみ、デビュー作までの波乱の日々を語る「10代は悲しみだったけど、20代はきっと楽しい」
大分出身の注目のシンガーソングライター、ななみが10月8日、シングル『愛が叫んでる』でメジャーデビューする。「強がってはいても、愛がほしい」という生々しいメッセージが込められた同楽曲は、ななみ自身が引きこもりやいじめなど、10代で経験した様々なエピソードをもとに生まれたもの。楽曲について話を聞くと共に、彼女の生い立ちについても知ることができた。
「音楽から得られる楽しさで、日々に色が出てきた」
――メジャーデビューが決まったとき、率直にどう思いましたか?
ななみ:信じられませんでした。14歳のころから音楽を続けてきて、目標のメジャーデビューが叶ってしまうことで、プレッシャーや不安も感じましたね。でも、最近は新しいスタートをシンプルに楽しめたらいいと思っています。
――初インタビューなので、時間をさかのぼって伺いますね。14歳で音楽をはじめたきっかけは?
ななみ:両親が離婚してしまったんです。母には「私は大丈夫だよ」なんて強がっていたのですが、当時は多感な時期だったので、すごく考えてしまって。友だちの笑顔を見ると悔しくて、「なんで自分だけ」と思ったりもしました。それで学校に行けなくなり、半年くらい引きこもってしまったんです。
じっとしているからお腹も空かないし、部屋にいるだけだから日常に変化もない。“生きている”という実感がなかったんですよね。そんななかで、YouTubeで音楽を聴くようになって、音楽から得られる楽しさで、日々に色が出てきたんです。それがすごく助けになって。最初は好きな曲を口ずさむだけだったのですが、思い切って母に「音楽がやりたい!」って言いました。そうしたら、母は私が何かをやりたいと言い出したことがうれしかったみたいで、全力で応援してくれて。それが中学3年生のころです。
――そして、実際にオーディションを受けるようになったんですね。
ななみ:何十社も受けて、落選もたくさんしたんですけど、当時はそれでも審査員の方に「いいね」なんて評価されることが嬉しくて。カラオケだけで歌の練習をしていたのが福岡の音楽スクールに通い始めて、ギターの基礎や作詞作曲の土台となる部分を教わりました。最初の曲も、そのときにできたんですよ。でも、「個性は学べるものじゃない」と思って、スクールは卒業。その後は大分でライブ活動をしていました。
――その年齢で音楽に専念するのは大きな決断だったと思います。
ななみ:みんなが学校に行っている間に音楽をやっていて、「歌手を目指しているらしい」という噂が広がって、久しぶりに学校に行ったらからかわれることもありました。もともと団体行動が苦手だったし、「愛が叫んでる」のPVで描いているようないじめも経験したんです。本気で歌手になりたかったけれど、それを受け入れてくれない人たちに対して、どこか後ろめたい気持ちもあって。それでも前を向いて、「今に見てろ!」という気持ちで学校に通っていました。
――いまのななみさんは快活な印象で、団体行動だったり、みんなの前で表現することが苦手なタイプには見えません。音楽に取り組むなかで変わっていったのでしょうか。
ななみ:そうですね。最初は家族でカラオケに行っても恥ずかしくて歌えなかったんです(笑)。だから、2013年に「Music Revolution JAPAN FINAL」でグランプリをとったことが自信につながっているのかもしれません。「こんな私でも、自信を持っていいものがある」と気付いたというか。
――そんななかで生まれたのが、「愛が叫んでいる」だったと。
ななみ:Music Revolutionの第一次審査が2012年で、最初は歌だけで出ていたんですが、弾き語りで出てみようと思って。それで、それまでに書いた曲を練習してみても、どれもピンと来ない。「愛が叫んでる」はそのときに作った曲です。愛にしがみついていた主人公が、心を開いて愛をもらえるようになる…という気持ちは、当時の自分の成長と重なるもので、歌詞は暗いけれど、徐々に評価してもらえるようになりました。