HKT48指原莉乃はなぜ「頂点」に? セルフプロデュース時代におけるトップアイドルの条件

「セルフプロデュース」から「プロデューサー」への道筋

 長年J-POPの動向を追いかけていると、ときたま「プロデュースされているはずだった人が、いつの間にかプロデュースしている人の思惑を超えていく」という事例にぶつかる。例えば「SPEEDに憧れていたアイドルがテクノポップを歌わされている」という形で始まったメジャーフィールドでのPerfumeというプロジェクトは、いつしか「3人の自立した女性の物語」に進化していった。また、Perfumeブレイクの立役者でもある木村カエラも、「モデルが歌を歌う」という見え方でスタートした音楽活動が今ではたくさんのミュージシャンのクリエイティビティを刺激している。

 この潮流をさらに遡っていくと、我々は小泉今日子という存在にたどり着く。正統派アイドルとしての出自を持ちながら、サブカルチャー界隈でも独自の存在感を開花させた彼女の「面白さ」を決定づけたのは「なんてったってアイドル」という曲であった。ジャンルをメタ化してアイドルの新しい楽しみ方を提示したこの曲を作詞したのは、誰であろう秋元康である。

 小泉今日子、木村カエラ、Perfume。この流れに指原莉乃も連なる、と言ったら違和感はあるだろうか。自分のやりたいこと、ありたい姿を思い描くことで、周囲がイメージしていたレールを勝手に書き換えていく強さ。ここに挙げた面々と指原にはそんな共通点があると思う。

 そして、偉大な先人たちと比較しても指原莉乃のみに課せられている使命がある。それは、自分の強みであるセルフプロデュース力を「他者のプロデュース」にも展開すること。HKT48は名実ともに指原のグループであり、今年の選抜総選挙での大躍進は彼女の手腕の証明としては十分であった。ただ、指原のプロデュース手法は基本的には「弱者の戦略」であり、「何も持ち合わせていない自分がどうすれば良いか」「先輩グループに負けているHKT48が何をすれば良いか」という発想から組み立てられている。自分自身もグループも人気が固まってきたタイミングで、このやり方がどこまで通用するか。また、通用しなくなった時に新しい打ち手を見つけることができるのか。まもなく最初の正念場が来ると思われる。そしてそこを乗り越えた時には、秋元康が黙っていないだろう。ゆくゆくは「二代目秋元康」として・・・そんな途方もない未来が待っているのかもしれない。

■レジー
1981年生まれ。一般企業に勤める傍ら、2012年7月に音楽ブログ「レジーのブログ」を開設。アーティスト/作品単体の批評にとどまらない「日本におけるポップミュージックの受容構造」を俯瞰した考察が音楽ファンのみならず音楽ライター・ミュージシャンの間で話題に。2013年春にQUICK JAPANへパスピエ『フィーバー』のディスクレビューを寄稿、以降は外部媒体での発信も行っている。

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