HKT48指原莉乃はなぜ「頂点」に? セルフプロデュース時代におけるトップアイドルの条件

指原莉乃は「アイドルらしくない」のか

 「へたれ」という微妙な立ち位置を逆手にとって注目を集め、選抜総選挙の順位も右肩上がり。2012年には篠田麻里子や板野友美を抑えて4位まで来た矢先に、過去の男性スキャンダルが報じられてAKB48からHKT48へ移籍。そんな状況にあってもスキャンダル自体を笑いのネタにする図太さを見せ、一方では博多の若いメンバーを先輩として、さらには劇場支配人としてバックアップ。グループの底上げを実現するだけでなく、ついには2013年の総選挙で1位を獲得。今年は2位に甘んじたものの、テレビでの露出や業界内での評価は今でも圧倒的。
指原莉乃のここまでの歩みを見直すと、それが従来の「アイドルらしさ」からは遠くかけ離れていることが分かる。自分の弱い部分を自虐的なスタンスで独自のキャラクターに変換する手法はやろうと思ってもここまで鮮やかにできるものではないし、そもそも「男を知らない」という女性アイドルにとっての建前すら成立していない。そんな彼女が今ここまで支持を得ていることにはどんな意味があるのだろうか。

 前段でも触れたとおり、10年代のアイドルシーンは「(単にビジュアルやパフォーマンスの良さを競うのではなく)パーソナリティー全体でいかに相手の心をつかむか」というのが争点となっている。ある意味では「コミュ力・自己演出力至上主義」的なマーケットといっても良い(そのこと自体の是非はここでは論じない)。この軸で数多のアイドルを評価すると、指原莉乃のコミュニケーションスキルはおそらく群を抜いている。

 著書『逆転力』において、指原はその「技」の一部を開陳している。

「おじさんと喋るのは得意だと思います。接し方としては、すっごい立場が上の人には友達感覚で話して、ちょっと偉い人には下から行く。」
(『逆転力』指原莉乃 P121)

 このくだりを読んだ際には正直少し戦慄した。こういった他人との間合いの取り方こそが彼女の本質であり、その能力が握手会のコミュニケーションやライブのMCなどにも生かされているのだと思われる。

 また、アイドルとファンの距離が近くなったからこそ避けて通れない「アンチ」の問題についても、指原のスタンスは徹底している。「悪口を言うのは一周回って好きと同じ」という究極のポジティブシンキングを披露した上で、むしろそういう盛り上がりを歓迎している。

「アイドルって、好きな人と嫌いな人が両方いることで盛り上がる、と私は思っています。賛否両論があることで、人気がふくらんでいく。」
「話題がないことが一番怖いんです。燃料をどんどん足していかないと鎮火しちゃうから、鎮火する前に「好き」でも「嫌い」でもいいから、話題になるような燃料を見つけて自ら投下する。」
(『逆転力』指原莉乃 P140)

 「とにかく話題になることが大事」という哲学は情報過多の今の時代において一理ある考え方だとは思うが、誰しもができるものではない。精神的な負担は間違いなく大きいし、それが肉体を蝕む可能性だってある。それでも、指原は「ずっと2ちゃんねるを見ていたから炎上はコントロールできる」と意に介さない。

 指原莉乃という存在は、大昔のアイドル観からすればおよそ「アイドルらしくないアイドル」だろう。しかし、昨今の「“コミュニケーションゲームとしてのアイドルシーン”を渡り歩く存在」という視点で考えると、指原ほど「アイドルらしいアイドル」はいない。対峙している相手や状況を観察して自分がやるべきことをやる、もっと言えば自分自身のあり方を変化させていくというセルフプロデュース力が彼女をトップに押し上げたのである。

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