HKT48指原莉乃はなぜ「頂点」に? セルフプロデュース時代におけるトップアイドルの条件

「お行儀が良いだけのアイドル」はもうどこにも存在しない

「ネットでアイドルを募集しようとする人は、こっちがやりたいアイドルのイメージを、できるだけこと細かく書くことが大切です。最近はオーディションに応募してくる側の子もアイドルに関してかなりの知識を持っているので、「ここのカラーに自分は合うのか?」を意識しています。」
(『ゼロからでも始められるアイドル運営』大坪ケムタ、田家大知 P34)

 今の時代のアイドルのオーディションは、「運営サイドが女の子たちを選別する場」であると同時に「運営サイドが女の子たちに選別される場」でもある。自分が一番輝ける場所はどこか、自分が一番輝けるスタイルは何か。そういった判断の積み重ねによって、それぞれのアイドルは成り立っている。

 ここから読み取れるのは、「アイドルらしくないアイドル」という褒め言葉が醸し出すなんとも言えない不毛さである。ももクロやでんぱ組あたりを形容するこのフレーズは、「自主性、表現欲求、破天荒、がむしゃら」といった「一般的なアイドル(おそらく80年代の歌番組で下手な歌を歌っていた清純さが売りの女の子のイメージ)とは異なる要素」を過剰に賛美するために使われる。しかし、今となっては「自主性も表現欲求もない、単にお行儀が良いだけの女の子としてのアイドル」などこの世のどこを見渡しても存在しない。SNS、ライブ、ライブ後の接触、それぞれの場面において個々のパーソナリティーを伝達するのは自分自身にしかできないわけで(バックに「大人」がついていたとしても)、すべてのアイドルにとって「自分をどう見せるか・どう見せたいか」というセルフプロデュースの考え方は必須である。昨今のアイドルに関する言説を整理した『「アイドル」の読み方 混乱する「語り」を問う』(香月孝史著)でも指摘されているとおり、そういった最低限の前提を理解せずに「操り人形」といった言葉を弄ぶ「アイドル論」にはもはや何の実効性もない。

 セルフプロデュースという概念は、昨今のアイドルを取り巻く環境を考える上でとても重要な要素だと思われる。そして、そのスキルを最大限に活かしてアイドルシーンのピラミッドの頂点に上り詰めたのが指原莉乃という人物である。

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