磯部涼×中矢俊一郎『時事オト通信』 第1回(後編)
海の家のクラブ化、危険ドラッグ、EDMブーム……磯部涼と中矢俊一郎が語る、音楽と社会の接点
グローバル化の一現象としてのサマー・オブ・ラブ
中矢:最後に日本とアメリカ以外の世界にも目を向けた話をできればと。もうだいぶ経ってしまいましたけど、ワールドカップの時期、コンビニなどでブラジル音楽をわりと耳にしたんです。「今お聴きいただいたのは、セルジオ・メンデス&ブラジル’66の世界的ヒット・ナンバー『マシュ・ケ・ナダ』でした」とかちょっとした解説もあったり。だから、90年代にブラジル音楽はブームになったけど、今回のワールドカップを機にまた日本で流行ったりすることもあり得るのかなと思ったんです。結局、特に盛り上がらなかったですけど、90年代にブームになった経緯を振り返ったりして。あの時代、アシッド・ジャズの文脈からブラジル音楽がクラブ・ミュージックとして受容されるようになった後、「サバービア・スイート」で紹介されたボサノヴァがカフェ・ブームとシンクロしていきましたよね。で、今やエクセルシオールみたいなチェーン店のBGMでもボサノヴァは当たり前に使われ、渋谷直角の『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』みたいな本も話題になったわけですが。
磯部:今回のワールドカップに関連して日本で良くも悪くもいちばん話題になった音楽は椎名林檎の「NIPPON」だからね……。ほとんどのひとはワールド・カップを“世界で頑張る日本人”みたいな愛国番組の延長でしか観てないでしょ。リンダ3世の「ブラジリアン・ライム」とか面白かったし、音楽ファンの一部ではアントニオ・ロウレイロとかいわゆる新ミナス派が話題だけどね。あと、ポスト・バイリ・ファンキとしてのテクノ・ブレーガとか?
中矢:テクノ・ブレーガは北部の都市ベレンを発祥の地とする音楽で、基本的にブレーガという土着のポップスの80年代音源を、クラブ・カルチャーを通過したプロデューサーたちがリミックスしたものなんですよね。ガビ・アマラントス、バンダ・ウオといったアイコンがデビューした2012年頃から、ブラジル全土で流行り始めているそうですが、ビジネスモデルもユニークといわれている。リミックス作業が中心の音源製作は低コストなので、完成したCDは露天商に超安いコピーを販売させることで、パーティに集客する広告として機能しています。実際、1万人以上が集まるパーティもあるらしくて。ただ、バイリ・ファンキのように国外でも注目される音楽になるのか、まだ何ともいえないところかなと。
磯部:バイリ・ファンキもパッケージよりパーティが重要みたいだから、そこも近いんだろうね。あと、最近のグローバルなベース・ミュージックの潮流とリンクしているようなところもあるし、もっと注目されそうな気もするけど。
中矢:バイリ・ファンキに関しては、M.I.A.の「Bucky Done Gun」に当時の彼氏であるディプロが取り入れたことで、その音楽の存在が国外でも広く認知されましたよね。
磯部:M.I.A.前夜、日本でバイリ・ファンキが注目され始めた頃はまだググれば何でも出てくるような時代ではなかったので(https://youtu.be/2Dd1P3VSuww)、同ジャンルをDJでよくかけていた露骨KITから「向こうのバイリ・ファンキのパーティでは、フロアにノーパンの男が一列に並んで、女の子は順番にピストンしていくらしいよ!」って教えてもらって、「すげー!」っていちいちカルチャー・ショックを受けていたし、実際、バイリ・ファンキの音にも欧米や日本にはない荒々しさが漂っていたとも思う。ただ、その後のネットの普及や、ベース・ミュージックのようなグローバルなムーヴメントの拡大によって、そういうエキゾチシズムやローカリズムを感じさせるジャンルは少なくなってきたよね。テクノ・ブレーガも洗練されてるでしょう。
中矢:先程も話に出たようにグローバルとローカルという言葉を掛け合わせた、グローカル・ビーツという言葉がキーワードになっていた時期がありましたよね。バイリ・ファンキのほかに、アンゴラのクドゥロ、アルゼンチンのデジタル・クンビア、インドネシアのファンコットなどがそれに当たると思いますが。
磯部:それがEDM以降、グローカル・ビーツが単なる“グローバル・ビーツ”として均質化していったと思うんだよね。K-POPなんかも、00年代はサウンドに独特の“訛り”があったのが、東方神起や少女時代のUS進出を機に徹底的にグローバライズが押し進められた印象があるし、最近、DJのwardaaがツイートしていた「ジャマイカでインターネットが普及して最新トレンドを追えるようになった挙げ句EDMが流行りまくってレゲエが衰退してる」という話には驚いたな。
中矢:なるほど。EDMだって、ロンドン発の重厚なダブステップの流れと、パリの洒脱なエレクトロの流れが合流して発生したものですけど、その2つの特性を大雑把に取り込んだダンス・ミュージックともいえる。そんな音楽は世界中に浸透しているわけですが、まだしばらく勢力は衰えないのかな?
磯部:柴那典氏の『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版、2014年)にしろ、皆、何かのムーヴメントが起こるとサマー・オブ・ラヴに例えるのが好きだけど、EDMは、モーリーの流行と合わせて考えれば、それこそまんま“サマー・オブ・ラブ”でしょう。そして、サマー・オブ・ラブって“お前はお前の踊りを踊れ”の真逆というか、“皆が同じ踊りを踊る”ことで自己という呪縛から解放されるムーヴメントなわけで、そりゃあ、没個性化していくよなぁっていう。ただ、ファーストでもセカンドでもサマー・オブ・ラヴが終わったあとは反動のように内省的な表現が増えたし、EDMが終わったあとに何が始まるのかにも興味があるけどね。
(構成=編集部)
■磯部 涼(いそべ・りょう)
音楽ライター。78年生まれ。編著に風営法とクラブの問題を扱った『踊ってはいけない国、日本』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(共に河出書房新社)がある。4月25日に九龍ジョーとの共著『遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(Pヴァイン)を刊行。
■中矢俊一郎(なかや・しゅんいちろう)
1982年、名古屋生まれ。「スタジオ・ボイス」編集部を経て、現在はフリーの編集者/ライターとして「TRANSIT」「サイゾー」などの媒体で暗躍。音楽のみならず、ポップ・カルチャー、ユース・カルチャー全般を取材対象としています。編著『HOSONO百景』(細野晴臣著/河出書房新社)が発売中。余談ですが、ミツメというバンドに実弟がいます。