雨はゲーム体験をどう変える? 解像度を上げるための4つのアプローチ

雨はゲーム体験をどう変える?

はじめに:フィクションにおける雨

「雨の音がする。窓の隙間から雨の匂いが漂ってくる。裕生は目を見開いている。夜明け前、まだ暗いひんやりした空気の中に懐かしい水の匂いがする」(『僕はかぐや姫』/※1)

 9月は関東地方を中心に太平洋側で月間降水量がもっとも多く(※2)、台風の影響もあって警報で学校が休みになることもめずらしくない。しかし子どものころは(代わりに土曜日に駆り出されるとはいえ)突然の休日をもたらしてくれたことに感謝していた雨も、大人になるとただ通勤時のわずらわしさが増すだけになりがちだ。

 だがフィクションにおいては、雨はさまざまな感情を呼び起こす装置として私たちを楽しませてくれる。少し前にTwitterでも話題になっていたように(※3)、絵画はその顕著な例だ。美術史に明るくなくとも、歌川広重『大はしあたけの夕立』(1857年)の線による雨の描写(※4)と、ターナーの『雨、蒸気、速度ーグレート・ウェスタン鉄道』(1844年)の一筋ひとすじを見わけることがほとんど不可能な横殴りの雨をくらべれば(※5)、その表現のレンジの広さは一目瞭然だ。

 雨の表現は直接的な視覚情報だけにとどまらない。小説においても、サマセット・モーム「雨」(1956年/『雨・赤毛』収録)や宮部みゆき「地下街の雨」(1994年/『地下街の雨』収録)のように、タイトル自体が作品のテーマをあらわすキーワードになっているものから、村上春樹『ノルウェイの森』(1987年)のように、「ぽつぽつ」「冷たい」「細い」あるいは「まっすぐな」雨が作中のあらゆる場面で登場人物の心情を代弁しているものまで、そのバリエーションは絵画に劣らず豊富である。

 ビデオゲームも例外ではなく、雨が印象的な作品は少なくない。今回はそうしたゲームならではの手法で雨が使われている例について考えてみる。

1. "めぐみ"の雨

 ゲームにおける雨の表現は、技術の進化と並走してきた。以前英語圏のゲームメディアGamesRader+で、1984年から2009年にかけてのゲーム内の雨の描写の変化が紹介されていたが(※6)、『SUPER DONKEY KONG』(任天堂/1994年発売、以下ゲームの情報や表記は基本的に文化庁メディア芸術データベース(※7)にもとづく)や『grand theft auto 3』(ロックスター・ゲームス/国内版は2003年発売)など、日本人にも馴染み深いゲームでもまた、さまざまな量や解像度の線や水滴によるユニークな表現が確認できる。

 最近もYouTubeでゲーム内の雨についての動画が20万回以上再生されるなど(※8)、グラフィックやサウンドといった技術的な側面は進歩がわかりやすく、製作側のこだわり(あるいは手抜き)がゲーマーだけでなくプレイ動画を視聴する層にも伝わりやすい。

 他方で、ゲーム内の雨はただ眺めたりうたれたりするだけでなく、プレイに直接的な影響をあたえることもある。それには正負の両面があるが、プラスの面では"特別なアイテムの入手"や、"キャラクターの強化"などがあげられる。

 前者の例としては、『どうぶつの森』(任天堂/2001年発売)の「いきたかせき」や『どうぶつの森e+』(任天堂/2003年発売)の「シーラカンス」といった、雨の日にのみ釣れるレアな魚や、『ポケットモンスターX・Y』(任天堂/2013年発売)で、そのエリアに雨が降っているときにヌメイルをレベル50以上にすると入手できるヌメルゴンなどがある。

 後者の場合、『ポケモン』シリーズのバトルで一部のポケモンが発揮する「あめうけざら」(雨のとき毎ターン体力が回復する)や「すいすい」(同じくすばやさが倍になる)のような「とくせい」や、「あまごい」で雨を降らせて「ぼうふう」の命中率を100%にするといったわざ同士の連携など、戦術の一環として意味をもつことも少なくない。

 意外なところでは、『三國志5』(光栄/1995年発売)でも一部の武将が雨によって強化される。呉の周瑜や陸遜をはじめおもに中国大陸南方で活躍した武将たちは、水上や雨のときに攻撃力や防御力が上がる陣形である「水陣」が使えたり、彼ら自身にも同様の効果をもつ「水神」の特殊能力が備わっていたりする。また本作でも「雨乞い」や「天変」といった特殊能力で人為的に雨を降らせることが可能なため、マップのほとんどが水域である南部地域での戦いにおいて、彼らはかなりの難敵となる。こうした補正は、「赤壁の戦い」に代表されるように、史実において呉が長江の流れを武器に魏の大軍を何度も打ち破ったことを再現する、一種のバランス調整として機能している。

2. 変化・変態・変身をもたらす雨

 しかし雨がもたらすのはメリットばかりではない。むしろゲームではしばしばデメリットのほうが強調されている。戦略シミュレーションではそれが顕著で、先の『三國志5』では「火計」や「火矢」など火をもちいた攻撃ができなくなるほか、『提督の決断4』(光栄/2001年発売)では敵味方ともに航空機の離発着が不可能になるため、戦場の天候の把握は最優先事項の一つとなる。

 『絶体絶命都市 2 -凍てついた記憶たち-』(アイレム/2006年発売)のように、天候によってステージ自体が変化することもある。基本的にそれはアバターの進路を閉ざすパズルの様相を呈しており、そこからいかに生き延びるかがゲームの主要な目的となっている。豪雨がもたらす洪水から逃れるというパターンは、『Rain World』(Videocult/2017年発売)などでもみられ、いずれも危険性という雨の別の側面に光をあてている。

 その影響はステージだけでなく、キャラクターにもおよぶ。『絶体絶命都市 2』では雨や水溜まりに濡れ続けるとしだいに体温が奪われ、ゲームオーバーになる(図1の左下の水滴マークが濡れている度合い、矢印の向きが体温の低下を示す)。これを回避するには、火のそば(「あたたまりポイント」)で体を乾かす必要がある。『三國志』シリーズでは豪雨が火を無効化していたが、ここでは火によって雨に対抗するという逆転がみられる。

図1『絶体絶命都市2』で濁流に飲み込まれそうなヒロイン(奥)と、防水対策をした主人公(手前右)。
図1『絶体絶命都市2』で濁流に飲み込まれそうなヒロイン(奥)と、防水対策をした主人公(手前右)。

 『DEATH STRANDING』(コジマプロダクション/2019年発売)では、「時雨」(ときう)と呼ばれる雨が、生物であろうと無機物であろうと触れたものの時間を急速に進ませる。そのため本作でも荷物の劣化や敵の襲撃をもたらす時雨を避けることが重要になるが、物語においてそれは、なによりもまず老化という一方通行の変化をもたらす。その雨粒は敵に襲われる危険度が上がるほど黒くなっていくが、それは同時にその変身の負の面を警告する色でもある。

 だが危険なのは黒い雨だけではない。『SIREN』(ソニー・コンピュータエンタテインメント/2003年発売)では、一部の操作キャラクターも含め赤い雨に触れた人間のほとんどが屍人になる(図2)。それもさきほどまで操作していたキャラが、次のシナリオでは理性を失った敵として登場するなど、極端な形での変身だ。しかしジョージ・A・ロメロの『ランド・オブ・ザ・デッド』(2005年)のゾンビのように、正気を失いながらも生前の記憶をなぞって「生活」しようとする屍人たちには、私たちとは別の世界が見えている。過去の世界も身体も捨てた屍人たちは、変身というよりはむしろ昆虫のように変態したと言ったほうが正確かもしれない。そしてそれは、時雨による老化と同じく一方通行でもある。

図2『SIREN』で赤い雨の中に佇む主人公。
図2『SIREN』で赤い雨の中に佇む主人公。

 雨がそのままタイトルとなっている『rain』(ソニー・コンピュータエンタテインメント/2013年発売)でも、変身がキーワードだ。図のようにステージ内は雨が降っているところと屋根などで遮られているところに分かれており、アバターと敵の身体は雨の中でだけ可視化される(図3)。本作はそれを上手く利用して隠れながら進む、一種のステルスゲームとなっている。

図3『rain』では雨の中では透明ながらも見えていた姿が、屋根の下では足跡以外見えなくなる
図3『rain』では雨の中では透明ながらも見えていた姿が、屋根の下では足跡以外見えなくなる

 だがそれは一方では主人公とヒロインが元の身体を失いながら(物語の次元での変身)、他方ではむしろ代わりに得た新しい身体の可視性と透明性を切り替える(ゲームデザインの次元での変身)ことで道を拓き元の身体を取り戻そうとする、多層的なものでもある。

 先の二作とことなり、本作の変身は夢の中という一時的な場所でおこなわれる。夢の終わりと雨の終わり、そのアナロジーが、主人公たちの内面的な成長をうながすある種の止揚をゲームならではのしかたで可能にしている。

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