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昭和歌謡史を語る上で是が非でもはずすことのできない、不世出の"菩薩"。彼女が80年に俳優・三浦友和の妻として毅然と芸能界を去ったとき、日本中が「これっきり/これっきり/もうこれっきりですか〜」と号泣したのは言うまでもない。
73年に「としごろ」でデビュー。森昌子、桜田淳子らと共に「花の中三トリオ」として一躍スーパー・アイドルに——。7年の活動歴のなかで実に数多くのヒットを輩出しているが、その世界観は大まかに3つに分けられるだろう。
1.千家和也(作詞)×都倉俊一(作曲)コンビによる、少女のセクシャリティと百恵特有の憂いを刻印したメロウ歌謡路線。ここには、「禁じられた遊び」(73年)、"♪あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ"というフレーズで、少年からオジさんまでを惑わせた「ひと夏の経験」(74年)、「夏ひらく青春」(75年)といったところが挙げられる。
2.谷村新司、さだまさし、堀内孝雄らが提供したニュー・ミュージック〜フォーキー路線。「秋桜」(77年)、「いい日旅立ち」(78年)、「愛染橋」(79年)といったナンバーで、古風でしっとりとした表情を堪能できる。
3.山口百恵のアーティスト性/特異性を120%引き出した、阿木耀子(作詞)×宇崎竜童(作曲)による、「女の想念・炸裂シリーズ」。個人的には、ここに傑作が集約されているように思うが。
それまでの清楚なイメージを打破させ、本人のバックボーンを見事に封じ込めた「横須賀ストーリー」(76年)、女の強がりと脆さが共存する「プレイバックPart2」(78年)、嫉妬心を自嘲した「愛の嵐」(79年)などなど……ありとあらゆる「女の業」を彼女は見事に歌いきっている。
世のすべてを悟りきった「大人の女」というイメージと、やたらと艶かしい声をもっていた山口百恵だが、引退したときはなんとまだ21歳(!)であった……。——その神がかった表現力、引退時の潔さ/美しさはいまだどのアイドルも超えられない。

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