宇崎竜童、ロックンロールへの夢から開けた50年の変遷 山口百恵とのエピソードや“生死を分けた出来事”も
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドでお茶の間にロックを持ち込み、山口百恵への楽曲提供や竜童組としての活動なども知られる宇崎竜童。変…
70年代半ば、"あんた、あのコの何なのさ?"という名フレーズと共にシーンに現れた、宇崎竜童率いるダウン・タウン・ブギウギ・バンド。それを受けて歌われる"港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ〜"という韻をふんだコーラス部分とセットで、未だ一般大衆の記憶に残る一曲だ。
デビューは73年。最初は鳴かず飛ばずでホテルやビアガーデンなどでの営業を続けていたが、75年に『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』が大ヒット。しかしこれだけのビッグ・ヒットとなると、自ずとバンド・イメージも固定されがちになってしまう。
そんな現状を打破すべく、彼らは80年にファイティング・ダウン・タウン・ブギウギ・バンドと改名。トレード・マークのツナギも脱ぎ捨て、過去の楽曲も演奏しなくなった。しかし結局、バンド内の音楽性の相違もあって81年に解散。宇崎はソロ期間を経て竜童組やR.U.コネクションで活動。山口百恵の「横須賀ストーリー」、内藤やす子の「想い出ボロボロ」など、コンポーザーとしても多くのヒット曲を出している。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドでお茶の間にロックを持ち込み、山口百恵への楽曲提供や竜童組としての活動なども知られる宇崎竜童。変…