松山ケンイチが向き合う実体のない“普通” 多彩な役作りは「別角度から常識を意識する」

松山ケンイチが向き合う実体のない“普通”

 NHKドラマ『宙わたる教室』の制作スタッフが贈るドラマ10『テミスの不確かな法廷』が1月6日より放送中。本作は、“普通”とは何か、“正義”とは何かを問いかける法廷ヒューマンドラマ。ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)を周囲に隠しながら、裁判官の職務に向き合う主人公・安堂清春に扮するのは、連続テレビ小説『虎に翼』(NHK総合)や『クジャクのダンス、誰が見た?』(TBS系)でも法律家を演じた松山ケンイチだ。今もまだ理解しきれていないところもあるという難役との向き合い方、安堂がこだわる“普通”について考えたことを語ってもらった。

当事者への取材で見えた“グラデーション”の表現

――松山さんが原作を踏まえて、台本を読んだときに感じたことを教えてください。

松山ケンイチ(以下、松山):法廷劇としての緊張感はありながら、人間同士のやりとりのところで温かい気持ちになれたり、クスッと笑えたりするのが、このドラマの魅力だと思います。また基本的な話の流れは原作に準拠しつつも、ドラマオリジナルの要素も多分にあって、そこがうまく掛け合わさっているところがすごいなと。1話ごとにトピックやテーマが異なるんですが、現在進行形の社会的課題が扱われている回もあったりして、考えさせられる上にエンタメとしても純粋に面白いので、自分も心から楽しんで安堂を演じられています。

――安堂は発達障害であることを周囲にカミングアウトしないまま、裁判官として社会の中で生きています。松山さんはこの役をどのような思いで演じられていますか?

松山:近年は発達障害を題材とした作品が増えてきていますが、おそらく以前もその判断基準に当てはまる特性を持ったキャラクターってすごく多かったと思うんです。僕が『デスノート』で演じた“L”をはじめ、いわゆる曲者、変わり者として描かれてきたキャラクターたちも、もしかしたらそうだったかもしれない。名前がついていなかっただけで。時代が変わり、名前がつくようになって、改めて考えさせられるのは、“普通”って一体何だろうということ。僕たちは人間関係の中で「この人は普通じゃない」と判断して、相手から距離を取ったり、断罪したりするけれど、突き詰めて考えていくと、実は”普通”って実態のないものなんですよね。相容れないと感じるのは、“普通”の価値観が一人ひとり違うから。それに気づくことができたら、自分の許容範囲が広がっていくし、許容範囲が広がれば、もっと周りの人に優しさを持てるようになる。このドラマはその一助になるはずだし、あらゆる分断が表面化しつつある今、どうやって人とコミュニケーションを取っていけばいいかの指標を示してくれていると思うので、僕も安堂という役にしっかり向き合いたいと考えています。

――発達障害についてはどこまでリサーチされたのでしょうか?

松山:昔、ネットで発達障害について調べたことがあります。加えて今回はグループケアの現場を見学に訪れ、そこで当事者の方とお話させていただきました。大前提として発達障害は外見的な特徴があるわけではないので、表面上は全くわからないんですよね。会話をしていても、障害があるとはわからない人もいれば、安堂のように深くかかわっていくと相手がズレを感じる人もいる。それくらい症状に幅がある障害なので、ひとくちに「こういう人です」と言えないところが難しいなと思います。

――おっしゃるように、ASDにしても、ADHDにしても、その特性の現れ方や程度は一人ひとり異なります。その上で、安堂としての細かい仕草や動きはどのように作っていかれたのでしょうか?

松山:撮影前に監督やカメラマンと、安堂の特性をきちんと表現するには、自分たちである程度のルールを共有しておいた方がいいですねという話になって。スタッフの皆さんが「安堂ノート」というものを作ってくださったんです。そこには安堂の苦手なことや好きなもの、特徴的な仕草はもちろん、基本的な服装と、なぜこの服装なのかといった細かいところまで記述されています。そのノートに則って演じていくんですが、あまりそこに縛られてもロボットのような人間になってしまうので、シーンの隙間でト書きにない仕草や動きをやったりしています。例えば、第1話で安堂がそわそわする気持ちを抑えるために、手をお尻の下に敷いて圧迫するシーンがあるんですが、原作では「お尻をかいていると誤解されたことがあるからやめた」って書いてあるんです。安堂は13歳の頃に発達障害と診断されてから、和久井映見さん演じるカウンセラーの山路先生と社会に馴染むための訓練をしてきたので。ただ、やめきれていないことや、周りに隠そうと思っても隠しきれない部分もあると思うので、そこをどれだけ表現するかですよね。その塩梅はチーフ演出の吉川久岳さんをはじめ、スタッフの皆さんと逐一相談しながら演じています。

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――本作は吉川監督をはじめ、『宙わたる教室』の制作チームが手がけています。同作に出演した俳優さんたちが口々に熱量の高い現場だったと語っていましたが、今回の撮影はいかがでしたか?

松山:『宙わたる教室』は僕も好きで観ていたんですが、画面から伝わってくる熱量の高さは今回の現場でも確かに感じました。カメラワーク一つにしても、すごく丁寧なんですよね。普段はカメラ打ち合わせが終わったら、それに則って撮影を進めていくことが多いんですが、この現場では撮影が始まってからも撮影部がずっと「この画を撮りたいです」って監督陣と話し合っていて。俳優の表現を撮り切りたいという熱意が伝わってきて、いつもありがたいなと思っています。自分の中でピークの芝居ができたと思っても、「もうワンテイクお願いします」って言われることもあるので、大変ですけど(笑)。安堂という役は奥が深くて、自分でもまだ理解しきれていない部分があるので、撮り直しはチャンスだと思ってやっています。

――先日の記者会見では、共演者の鳴海唯さん、遠藤憲一さんと楽しそうな雰囲気でお話しされていました。皆さんとのお芝居の感想も聞かせてください。

松山:このドラマに出てくる人たちは安堂に限らず、多かれ少なかれ、みんなどこか変わっているんですよね。安堂に対する反応や接し方ひとつにも個性があって、その表現方法に演じるキャストさんの人間味が滲み出てくるので、撮影のたびに「台本に書いてあることを、この人はどう表現するんだろう」っていう楽しみがあります。

――安堂が深く関わっていく弁護士・小野崎乃亜役の鳴海唯さんとは大河ドラマ『どうする家康』以来の2度目の共演となりますね。

松山:『どうする家康』のときはワンシーンだけの共演だったんですが、鳴海さんの目の前の相手や演技に対する誠実さをひしひしと感じたのをよく覚えています。今回はより長い時間コミュニケーションを取る中で意外とズボラなところも見えてきたりして、面白いなと(笑)。そういうご自身のいろんな面をうまく生かしながら、小野崎というキャラクターを作っていかれている印象です。

ーー『虎に翼』では裁判官、『クジャクのダンス、誰が見た?』では弁護士を演じられていましたが、立て続けに法律家を演じたことでご自身の中に何か変化はありますか?

松山:やっぱり弁護士や裁判官の役が続くと、おのずと普段の生活でも法律を意識するようにはなりますね。劇中でも「法律は扱い方によって自分を守る武器になる」という趣旨の台詞があるんですが、法律は子どもから高齢者まで、すべての国民の権利を守るものですから。自分の権利を知り、自分の身を守るためにも、あるいは他人の権利を侵害しないためにも知っておくべきことなので、僕が出る作品で少しでも皆さんが法律を身近に感じてくれたら嬉しいなと思います。

――意外にも今回初めて東京地裁に行かれたとのことですが、いかがでしたか?

松山:ドラマや映画だと、法廷のシーンってほぼ有罪が確定していたところから大逆転が起きたり、声を荒げる人がいたり、ドラマチックに描かれているじゃないですか。僕も誰かの人生が大きく変わる場所なので、そういう緩急があるのかなと思っていました。でも、実際はとても静かな場所で、裁判も淡々と進んでいくんですよね。そこで改めて、法律に携わる人は感情に流されず、公平性と中立性を維持しなければいけない立場なんだなと思いました。

――安堂はその中でも異色な裁判官だと思いますが、松山さんが感じる安堂の魅力とはどういうところにありますか?

松山:安堂も裁判官である以上、公平性や中立性は大事にしていますが、引っかかりを覚えるところが人とやっぱり違うんです。それってすごく大事な感性で、新たな気づきを与えてくれたり、視野が広がって、人に対して優しくなれるきっかけをくれたりする。逆に、自分の感性や価値観ももっと大事にしようと思わせてくれるので、僕はすごく彼のことが好きですね。

――逆に安堂を演じる中で自分とは大きく異なると思った部分や、理解するのに苦労したところはありますか?

松山:安堂は、“普通”というものにすごくこだわりを持っているんです。 “普通”になれたら、みんなと同じように社会に溶け込められる、悩みなく生活を送れると思っているところがあって。逆に何かに失敗したり、うまくいかなかったりするときは、やっぱり自分が“普通”じゃないからだっていう思考になるんですよね。でも、先ほども言ったように”普通”って実体がないじゃないですか。あと、安堂はよく「僕は宇宙人で、地球人に擬態して生きている」って言うんですけど、僕はなんでそこを分けるんだろうなって思うんですよ。人それぞれの”普通”があって、みんな違うんだから。だけど、“普通”なんてどこにもないんだよ、みんな宇宙人なんだよって言ったところで、安堂は理解できたとしても、受け止められないような気がします。それは「なんでお前は普通のことができないのか」って人に言われ続けてきた結果なのかもしれないし、他の人とは傷ついている部分が圧倒的に違う。そこをどう表現すれば、観ている人に伝わるかということをずっと考えていますし、この課題はずっと最終回まで引きずっていくものなんだろうなって。

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