アニメ『九龍ジェネリックロマンス』戻れない過去に思い馳せて 記号と別れの物語を紐解く

金魚と鯨井A目線で語られる「絶対の自分になる」物語
「恋のレトロニウム」は、鯨井Aが工藤からもらった金魚の視点で映像が展開されている。そしてその金魚は、鯨井Aから「サクセス」という名前をもらった。そして名前をもらった瞬間、サクセスは「金魚」という“記号”ではなくなる。この“記号”の話は原作で丸々1話、サクセスの視点で語られる重要なエピソードがあるのだが、アニメでは省略されている。それでも毎週のエンディングで「ずっと鯨井Aを見てきた」サクセスだからこそ、彼女をあの境地で救えたことが理解できるのだ。
サクセスは工藤が嫌いだった。それは自分が見ている鯨井Aは鯨井Aなのに、工藤の前だと彼女は「鯨井令子」の“記号”になってしまうからだ。それは“絶対の自分”になりたい鯨井Aの気持ちに反している。
鯨井Aにとって本作は自己の探究、そして確立の物語であった。それは彼女だけにとどまらず、母の影から逃げたかった楊明や、半陰陽として生まれたことで“絶対の自分”を自己認識することができなかったみゆきにも同じことが言える。特にみゆきは工藤のように、九龍で亡き母親の影を追い続けていたこともあり、鯨井Aと工藤、2人のテーマを1人で背負っているようなキャラクターなのだ。
アニメ最終話、鯨井Aは気づきにたどり着く。工藤と一緒にG九龍から、鯨井令子から抜け出すこと、そうすることで工藤は自分を鯨井Bとは別の存在だと認め、それによって“絶対の自分”になったことが証明されると考えていた。しかし、そもそも工藤を助けようと思うこと、その延長でアイデンティティを確立させようとしたことが間違いだとわかるのだ。自分を変えられるのは、救えるのは自分しかいない。工藤自身が自分を救わなくてはいけない、そしてサクセスが名前を授かった時から自分を「サクセス」と認識したように、鯨井Aも自分自身が“絶対の自分である”と認識することで“絶対の自分”になることを理解したのだ。
「恋」と「なつかしさ」と、その先へ
興味深いのは、やはりどれだけミステリー要素があったとしても本作はロマンスを描いた作品であること、そして恋愛を始める、他者に向き合う時には確立された自己がないと気持ちも関係性も不安になってしまうという真理をダイナミックに説く物語なのだ。
そして「恋」は作品の中で「なつかしさ」という言葉に置き換われる。『九龍ジェネリックロマンス』を観た時、街並みや人々の佇まい、夏の風景に、九龍に住んでいなかったくせに私も「なつかしさ」を感じた。他にも、そういった身に覚えのないものを通して、この気持ちを抱いたことがある。「なつかしさ」、つまりノスタルジーとは「遠く離れた物事や過ぎ去ってしまった物事について、懐かしみ、しみじみと思い馳せる心境」だ。つまり九龍城砦を知っているか知らないかということは問題ではなく、九龍城砦という過去の遺物を通して、すぎ去ってしまい戻ることのできない時代や時間……“自身の過去にアクセスしている”ことが「なつかしむ」の正体なのではないかと思う。
本作でも登場人物ごとに内容が違えど「後悔」という共通認識があったように、それぞれの「ノスタルジー」を我々は抱えていて、そこにどう向き合っていかなきゃいけないのか、という問題提起も一つ本作の大きなテーマのように思う。
そしてその「なつかしさ」は、変化を嫌う鯨井Bによって「この胸に閉じ込めたい」と変換され、だから「恋」と同じであると第3話で語られていた。「後悔」や過去から前に進むことで未来が見えることは分かりきっていても、前に進もうと頑張るキャラクターだけでなく、進むことが「捨てること」のように思えてその場にうずくまってしまう工藤のようなキャラクターの心情もメインで描かれている点が本作の優しい魅力のように感じた。
これは『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』を観た時にも感じたことだが、果たして自分はG九龍やオトナ帝国から出られる人間だろうか。そこに子供の頃に通っていたTSUTAYAがあって、つぶれてインターネットカフェになってしまった映画館があって、大学時代に友達とハマっていた飲み屋があったら……。振り返ってしまう人間の心に寄り添いながらも、「あなたはそこから出たいか、出られるのか」という問いを視聴者に託したアニメ『九龍ジェネリックロマンス』。その余韻からまだ抜け出せそうにない。
眉月じゅんの同名漫画をアニメ化したミステリーラブロマンス。ノスタルジー溢れる街・九龍の不動産屋で働く鯨井令子は、失くした記憶、もう1人の自分の正体、そして九龍の街に隠された巨大な秘密と向き合っていく。
■配信情報
TVアニメ『九龍ジェネリックロマンス』
各配信サイトにて配信中
キャスト:白石晴香(鯨井令子役)、杉田智和(工藤発役)、置鮎龍太郎(蛇沼みゆき役)、坂泰斗(タオ・グエン役)、古賀葵(楊明役)、鈴代紗弓(小黒役)、河西健吾(ユウロン役)
原作:『九龍ジェネリックロマンス』眉月じゅん(集英社『週刊ヤングジャンプ』連載)
監督:岩崎良明
シリーズ構成・脚本:田中仁
キャラクターデザイン:柴田由香
美術監督:金子雄司
OP主題歌:水曜日のカンパネラ「サマータイムゴースト」
ED楽曲:mekakushe「恋のレトロニム」
アニメーション制作:アルボアニメーション
製作:「九龍ジェネリックロマンス」製作委員会
©眉月じゅん/集英社・「九龍ジェネリックロマンス」製作委員会
公式サイト:kowloongr.jp
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