長澤まさみ主演『ドールハウス』はしっかり“怖い” 矢口史靖監督の“上手さ”が際立つ一作に

『ドールハウス』際立つ矢口史靖監督の上手さ

 『ウォーターボーイズ』(2001年)や『スウィングガールズ』(2004年)、『ロボジー』(2012年)などなど、コメディ映画の名手として知られる矢口史靖監督が、新たに原案、脚本、監督を務める『ドールハウス』が、この度公開された。公式には「ドールミステリー」と謳っているこの作品、実質的には本格的に怖がることのできるホラージャンルといえる内容になっていた。

 ホラー作品が注目を浴びている最近のブームのなかで、ついに越境的といえる現象まで飛び出したかたちだが、果たして本作『ドールハウス』は、どんな出来になったのだろうか。ここでは、さまざまな角度から検証していきたい。

 タイトル通り、人形が怪異の中心となるホラーだ。不慮の事故から幼い一人娘を亡くした家庭・鈴木家を舞台に、精神的に追い詰められた女性・佳恵(長澤まさみ)が、古い等身大の少女人形を手に入れ、その人形に異様な執着を見せ始めるところから、物語は動き出していく。

 佳恵は持ち前の明るさを取り戻すが、あまりにも人形をかわいがり、ベビーカーに乗せて旅行や買い物にまで連れていくという行動に、夫の忠彦(瀬戸康史)は不安をおぼえている。しかし佳恵が再び妊娠し、また娘が生まれることで、たちまち人形は“用済み”となってしまう。怖しいのはここからだ。娘がすくすくと成長し、亡くなった娘くらいの歳になると、鈴木家にさまざまな怪異が起こるようになっていくのである。

 本作の恐怖演出は見せ方が周到に考えられており、しっかりと怖い。「ドールミステリー」と銘打たれてはいるものの、世界のホラー映画の恐怖シーンの数々と比較しても遜色のないレベルにあるといえよう。「コメディ監督の恐怖演出でしょ」などと侮っていると、ときに正視しにくいほどの恐ろしいシーンの数々に、のけぞってしまうかもしれないのだ。逆に、コメディといえるような演出は、かなり抑えめだといえる。

 とはいえ、そこはやはり矢口史靖監督。思わず笑ってしまう箇所も、いくつかある。例えば、佳恵が骨董市で人形を買ってきて、食卓に座らせている場面。人形は薄汚れていて、その佇まいはあまりにも不気味だ。そこに、のこのこと何も知らない夫の忠彦が帰宅する。部屋のドアを開けて中に入ってきても、人形のいる食卓に背を向け、まだ異様な人形の存在に気づかない。そしてテーブルに向き直り椅子に座ろうとした段になって、腰を抜かすほど驚くのである。

 観客が、どう考えても異常な光景を目の当たりにしているのに、登場人物がそれにまだ気づいていない状態……。それは、サスペンスやホラーの王道的な演出でもあるのだが、場合によって、ある種の“おかしみ”をも発生させることがある。ヴェルナー・ヘルツォーク監督の吸血鬼映画『ノスフェラトゥ』(1978年)でも、ドラキュラ伯爵の城に旅人が滞在する場面で、旅人の前で城の主人がどう見ても吸血鬼としか思えない見た目や、あからさまな行動をしていることで醸し出される“おかしみ”が醸し出されていたように。

 また本作では、刑事や僧侶など、人形にかかわるキャラクターたちが、「呪うなら呪ってみろ」という態度で人形を運ぼうとして、案の定ひどい目に遭ってしまう流れも愉快だ。ちゃんと“オチ”の前に“フリ”を用意しておいて、“オチ”を予期させておくという、お笑い、コメディでもよく使われる一連の流れが、律儀に用意されるのである。『死霊のはらわた』シリーズのサム・ライミ監督など、多くの映画人が言うように、「恐怖とコメディは紙一重」という言説は、このような面からも認識することができる。

 とはいっても、ここで「矢口監督がコメディ映画の監督だから恐怖映画への親和性が高い」と主張しようとは思わない。もちろん、そういう面もあるのだろうが、それよりも本作で感じるのは、矢口監督のベーシックな“上手さ”だからである。「世界三大ファンタスティック映画祭」の一つとされている、「ポルト国際映画祭」でグランプリを獲得したことからも分かるように、本作は長澤まさみらの演技を引き立てる、人間の感情描写や、娯楽的なストーリーはこびなどなど、あらゆる点の質が高いのである。一言でいえば、「娯楽映画を撮るのが上手い」ということだ。

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