アニメだからこそ描けた“地獄”とは? 今掛勇監督が『ドラゴン・ハート』に込めた思い

幸福の科学の大川隆法総裁が製作総指揮・原作を務める長編アニメ『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』が5月23日に公開される。自然の豊かな徳島県を振り出しに、中学生の少年と少女が霊界へと赴き恐ろしいものを見たり、心を揺さぶる教えに触れたりしながら成長していく物語だ。
東京に暮らしている中学3年生の田川竜介は、夏休みに予定していた登山部の活動がなくなり、叔母が暮らす徳島に遊びに行く。竜介は従妹で中学2年生の佐藤知美と日本一の清流という穴吹川で川遊びをしていて急流に流されてしまう。そこに現れたのが巨大な龍で、竜介と知美を助けて謎の老仙人のところへと連れていく。老仙人は竜介と知美は溺れて死んでしまったと告げるが、まだ死にたくないと言った2人に霊界を旅して「人生でなすべきこと」を見つければ元の世界に戻してあげると答える。竜介と知美は竜に導かれて霊界へと旅立つ。
『永遠の法 エル・カンターレの世界観』(2006年)から始まり『神秘の法 The Mystical Laws』(2012年)や『宇宙の法―エローヒム編―』(2021年)などを手がけ、今作でも監督を務める今掛勇に、映画の見どころや、物語に込められた思いなどを聞いた。
アニメーションだから描けた徳島と“地獄”

ーー『神秘の法 The Mystical Laws』や『UFO学園の秘密』(2015年)は主人公が神秘的な体験をする作品で、『宇宙の法―黎明編―』(2018年)や『宇宙の法―エローヒム編―』は時空間を超越するスケールの大きな作品でした。今回、中学生を主人公にした冒険を描くことになったのはなぜでしょう?
今掛勇(以下、今掛):私たち人間の中で起こる変化というものを考えた時、この中学生というのは非常に柔らかくていろいろなことを学ぶ時期なんです。人生の岐路にあっていろいろと別れていく大切な時期を、竜介と知美を通して描いて皆さんに観てもらいたかったのです。それからこの映画では、「夏」という季節も重要なキーワードになっています。
ーーどのような意味でしょう?
今掛:皆さんが人生の中の思い出というものを振り返った時に、一番残っているのが夏の記憶かと思います。大川隆法総裁もこの夏という季節を人生の煌めきというようにおっしゃっています。そんな夏の季節にいる竜介と知美を観て、皆さんにも夏の煌めきを感じ取ってもらえればと思っています。

ーー映画ではそうした夏のまっただ中にある徳島の街や自然が、眩しいくらいに鮮やかなタッチで描かれていて引き込まれます。夏の自然を表現するためにいろいろと気を配られたのでしょうか?
今掛:大川総裁の方から、阿波踊りや渓谷の大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)などの風景を研究してきれいに描いてほしいといった思いをうかがっていました。だから、現地に取材に行った時も見たままにリアルに描くというのではなく、自分たちがそうしたものに感じた気持ちを乗せて、美しく描くための取材をするようにしました。その時に感じたのが、徳島は柔らかいというか優しいというか、とても安心することができる場所だということでした。取材の時も、いっしょに行ったスタッフに「そこがこういうふうに見えるよね」「こう感じるよね」といったことを話しながら回りました。映画にはそうした成果が出ていると思います。

ーー阿波踊りも眉山も大歩危小歩危も高越山も、夏の瑞々しい空気感が溢れてくるような描かれ方をしていて、観客に夏の徳島に行ってみたいと思わせるところがあります。それほどまでに美しい場所から竜介と知美が赴くのが怖い怖い地獄です。これには驚きました。
今掛:それが狙いです。私たちが生きているこの世界には目に見えないところがたくさんあります。そういう世界をもしかしたら自分たちは知らないのではないか、知っていても認めたくないのではないか。実は世界は慈愛のようなものに包まれていて、その中に私たちが住んでいる世界もあれば、地獄のような場所もあり、神々の世界もあるのではないか。そう考えて観ていただくことで、『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』の世界観が繋がると思っています。

ーー美しい徳島から恐ろしい地獄に行くような体験を経て、現世に戻って徳島の空気に改めて触れてその良さを改めて感じることができます。
今掛:帰って来ると見えている世界が今までとは違ったものに感じられます。成長した後に世界がどのように違って見えるのかを感じ取れる作品です。

ーー地獄ですが、仏教画の地獄絵図に描かれるような鬼がいて針山地獄があって血の池地獄があってといった旧来のイメージに留まらないものになっています。「無頼漢地獄」であったり「病院地獄」「テロ・戦争地獄」であったりと、現代ならではの罪に対する罰が与えられる地獄が幾つも登場します。
今掛:現代に生きている人たちが、死んで霊となって行くことになるかもしれない地獄はどういうものなのかを描いています。私のような昭和生まれで地獄に古いイメージを抱いている人間とは違って、現代の人たちは古い仏教の教えも学んでないでしょうし、仏画などで地獄を見て知っているわけでもありません。だから、そういった古いイメージの地獄には行かないのではないでしょうか。そう考えて、大川総裁が著作に書かれたさまざまな地獄を取り込んで描いています。「病院地獄」など、自分でも病院に行った時に、病気でもないのにどこか悪いところはないのか、薬はないのかと言う人を見かけて、そうした人たちの想念が集まった地獄もあるのかもしれないと思いました。

ーー自分の振る舞いを思い描いて、どのような地獄に行くのだろうと思わされるところがあります。ただ単純に怖いというより、身につまされるようなところがあります。
今掛:ただ、あまり深刻になりすぎないよう、アニメというメディアを使いエンターテインメントとして描いているところはあります。あと、竜介と知美が霊界探訪を体験しながら、その地獄からどうすれば出ることができるのか、どうすれば地獄に行かずに済むのかといったことも描いています。そうした2人の冒険を見ながら、現代の人々に改めて地獄というものを知っていただく良い機会に、この映画がなっているのではないでしょうか。
ーー作中に流れる楽曲も印象的です。
今掛:映画を作る際に、大川総裁作詞作曲の楽曲をいただいていて、それをビデオコンテの中に入れていくというプロセスを使っています。5曲ありますが、前半だけ使う曲、後半だけ使う曲もあってそれを2時間という映画の中で7カ所に入れることを、最初はリスキーかなと思いました。それが、改めて歌詞を読み込んでいくと、映画のコンセプトをしっかりと歌っていることに気付きました。今回は、絵コンテではなくビデオコンテという映像のようなコンテを作っています。そこに楽曲をはめると、それぞれの楽曲が導き手となって竜介と知美の霊界探訪を導いていってくれることが分かって、自信を持って楽曲を使うことができました。コンセプトが分かるので、自分だけでなくスタッフにも楽曲をよく聴いてもらって制作に臨みました。

ーービデオコンテの利用で作品に良い影響が出たということはありますか?
今掛:作品の流れをより深く理解してもらえたのではないでしょうか。『ドラゴン・ハート―霊界探訪記―』は宗教作品というところがありますが、スタッフやアニメーターには幸福の科学の信者ではない方もいて、描かなければいけないものが分かりづらいところもあります。そうした人たちにビデオコンテを見てもらうことで、より具体的にどのような表現をすれば良いのか、どのように流れを見せていけば良いのかを理解してもらえました。




















