エリザベス・オルセン×アリシア・ヴィキャンデル 『アセスメント』が問う“正解のない問題”

親になり子育てをすることに政府の厳しい審査が必要になったとしたら、どうだろうか。そして夫妻の私生活を、派遣された“査定官”に逐一チェックされたとしたら……。
Prime VideoでリリースされたディストピアSF映画『アセスメント 愛を試す7日間』は、そんな異様なテストを“7日間”受ける夫妻の物語が描かれる。奇妙なシチュエーションが特徴の本作『アセスメント 愛を試す7日間』が、物語のなかで何を表現していたのか、そこから観客が何を受け取れるのかを、ここでは考えていきたい。
※本記事では、映画『アセスメント 愛を試す7日間』の終盤の展開に触れています
ワンダ・マキシモフ(スカーレット・ウィッチ)役でよく知られているエリザベス・オルセンは、TVシリーズ『ワンダヴィジョン』で古いタイプの「良妻賢母」の役割を担ったり、『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』(2022年)で、子どもを持つことへの執着を表現してきた。本作では、子どもを持つために“良い親になれる女性”を演じることを迫られる妻という、複雑な役回りを演じている。
劇中では詳細に語られないが、本作の舞台となる世界では、どうやら汚染による劣悪な環境と限られた資源のなかで人々が生活しているらしい。人々は、政府が管理する「新世界」と、放置された「旧世界」に二分されている。エリートで政府に従順でなければ住むことが認められない「新世界」では、政府から支給される薬やテクノロジーなどによって長命が保証されているが、同時に人口抑制政策がとられているため、子どもを持てる家庭がごく少数に制限され、子孫を残すのにテストが必要になるのだ。
興味深いのは、親になれる試験をパスするための条件を、7日の間夫妻を監視する査定官が“提示しない”ということ。だから、夫(ヒメーシュ・パテル)も妻も、彼女の前で2人が思う“理想的な親”のイメージを装うしかない。しかし、果たして親になれる資質、条件とは何なのだろうか。本作は、そんな疑問を観客に投げかけるのだ。
現実の社会では、責任感のない親だったり、劣悪な環境で子どもを育てる親もいる。逆に、愛情をたっぷり注いだり、教育に力を入れている親もいる。しかし、それを子どもがどう感じるか、子どもがどのように育っていくのかは未知数だ。犯罪をおかすべきではないなどの明確な基準は存在するとしても、どんな親が子を育てるのに相応しいのか、“正解”は存在しないのである。
しかし、本作の夫妻は査定官が知っているだろう、何らかの“基準”を想像し、そこに合わせていかなければならない。2人がプレッシャーのなかで生活を続けていく様子は、“役割”のなかで個性や人間性が翻弄されるといった、皮肉な構図を暗示していると考えられる。
アリシア・ヴィキャンデルがバレエ経験を活かして身体いっぱいで“怪演”をする査定官は、突然に小さな子どものように駄々をこねたり、奔放な振る舞いをし始める。この狂気をはらんだ部分こそが、本作を特徴づける大きなポイントであり、ヴィキャンデルにとっても俳優としての能力を発揮できる部分だったといえる。しかし、これが作品のなかで何を意味しているのかというところが重要だ。
査定官の常軌を逸した態度を、「ロールプレイ(ごっこ遊び)」であり、テストの一環だと夫妻は理解するのだが、この光景には大人が子どもらしく振る舞うという表面上の奇妙さだけでなく、とくに親になろうとする者にとって、非常に不気味に感じられる深層的な部分がある。それは、子どもが親の行動を監視する存在になり得るという点だ。
良い親、悪い親という、漠然とした社会規範が存在する以上、模範的な行動から外れたときに、子どもはそれを記憶していて、いつか成長した子どもに責められることになるかもしれない。これはある意味で、自分の人生をまるごと巻き込んだホラーであり、子どもの人格を尊重できないかもしれないという悔恨への不安だといえる。その意味で“子どもを装って判断を下す者”である査定官は、親がやがて持つことになる不安を具現化したような存在といえるのではないか。そうでなくとも、親たちは内面化した自身の倫理観に従わねばならないという心理的抑圧のなかにいるのだ。