染谷将太、『べらぼう』唐丸として歌麿として最高の笑顔 写楽の正体も改めて考察

唐丸の正体は写楽か歌麿かーーNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』に残されていた唐丸の謎について、筆者は唐丸=写楽説を推していた。謎の絵師・東洲斎写楽は突如現れてわずか10カ月で消えたという史実が、行方知れずになっていた唐丸の物語と重なるように思えたからだ。
しかし、第18回「歌麿よ、見徳は一炊夢」でついに謎が解けた。唐丸は捨吉(染谷将太)となって生きており、蔦重(横浜流星)がその正体を見抜いて再会を果たしたのだ。蔦重は捨吉を自分の養父母に引き取りを頼み、「勇助」の人別を与え、「歌麿」という画号を授ける。これにより、唐丸は東洲斎写楽ではなく、喜多川歌麿であることが明らかになったのだ。第18回をもとに答え合わせをしつつ、空席となった写楽の正体についても改めて考えたい。

唐丸が「捨吉」として再登場した第18回では、彼の壮絶な過去が明かされた。夜鷹(下級遊女)だった母親(向里祐香)からは存在を疎まれ7歳の頃から客を取らされ、「くさくてつらい」地獄のような場所で日銭を稼ぐことでしか母の機嫌を取れない子どもだった。石燕(片岡鶴太郎)との出会いで絵に魅了されていたが、絵を描きたいというわずかな本心さえ母親に許されなかった。
彼が長屋で名乗る「捨吉」という呼称は、自らを“捨てた”という自嘲にも聞こえる。夜ごと“馴染み”が訪れ、身体を差し出すことでしか自分の存在を認められないーーそれは「罰を受けたい子」の典型だと、いね(水野美紀)が蔦重に語る通りだ。
江戸時代は儒教的な考えが強く、「たとえ毒親だとしても親を捨てるのは大罪」という価値観が支配していた。大火の夜に母を見捨てて逃げた唐丸は“親不孝”の烙印と焦げつく罪悪感を背負っていたのだ。

うつむきながら訥々と生い立ちを語る捨吉だったが、蔦重が「俺の役目はお前を助ける」と呟いた瞬間、捨吉の表情には震えるような揺らぎが走る。染谷が宿した潤んだ瞳からは「救われてはいけない、けれど救われたい」という矛盾が浮かんでいた。しかし、その後に駿河屋へ戻され、人別と「歌麿」という画号を授けられ与太話をする中で「そんなにうまくいくわけあるかよ」と笑う顔は、まぎれもなく昔の唐丸のままだった。染谷は幼少期の唐丸を演じた渡邉斗翔の演技を引き継ぎつつ、“今の唐丸”の笑顔、そして“歌麿”としての希望を見せてくれた。
ちなみに史実の歌麿は晩年、人喰い鬼女の山姥と赤子の金太郎を繰り返し描いている(版元は耕書堂、二代蔦重)。ドラマが示した唐丸の過酷な生い立ちを踏まえると、山姥は母の亡霊、金太郎は救えなかった幼少の自己像とも読めるのではないか。
#大河べらぼう 第18回にちなんだ浮世絵をご紹介。ついに喜多川歌麿が登場しました。歌麿は晩年、人を喰らう鬼女である山姥と赤子の金太郎を数多く描きました。ドラマでの歌麿の生い立ちを考えると、いろいろな解釈ができそうです。なお、この絵の版元は耕書堂ですが、蔦重の没後、二代蔦重の刊行です pic.twitter.com/UigqGJQ0RO
— 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) May 11, 2025
ところで、唐丸が喜多川歌麿だとすると、もう一方の謎の絵師・東洲斎写楽は誰なのだろうか?