『なんで私が神説教』『御上先生』『宙わたる教室』 新たな“令和”教師像の共通点とは?

『なんで私が神説教』“令和”の教師像とは?

 「教師ドラマ」といえば、昔から数々の名作が生み出されてきた人気テーマだ。しかし、教育の現場は刻々と変化を続けており、時代の価値観に沿ったストーリー作りが求められる難しい題材でもある。

 さらに、2020年に行われた教育制度改革によって、学習指導要領が改訂されたこともあり、年号が“令和”へと変わってからの教育ドラマには「アクティブ・ラーニング」と呼ばれる、子どもの主体的な学びを意識した視点が取り入れられることも多くなった。

『御上先生』が提示した“令和”の教師像

『御上先生』は“いま”観るべき作品に 「パーソナルイズポリティカル」がもたらしたもの

『御上先生』(TBS系)最終話では、ちりばめられた線がつながり、一つの大きな絵を描いた(※本記事ではドラマ本編の内容に触れていま…

 そんな背景も踏まえて、近年は今までにない「新たな教師像」を提示する教師ドラマも増えている。特に、日曜劇場で放送された『御上先生』(2025年/TBS系)は記憶に新しい。文部科学省のエリート官僚である御上孝(松坂桃李)が、派遣された私立高校で教育改革を試みながら、令和の時代を生きる生徒たちを導いていく。現代の教育現場における問題点のみならず、個々の問題が社会問題に起因していることを指摘する「パーソナル・イズ・ポリティカル」を掲げて、今の社会構造が抱える不備を忌憚なく描いていたのが印象的だった。

 御上先生の指導の特徴は、生徒たちに対してすぐに明確な回答を提示せずに、クラス全員で「考えること」を推奨していることだ。聡明でロジカルな発言が多いゆえに一見、突き放した対応にも思えるが、彼なりの誠実さで生徒と向き合い続けていた。

 最終話で御上先生が述べた「考える力っていうのは、答えを出すためだけのものじゃない。考えても考えても答えが出ないことを、投げ出さず考え続ける力のことだ」という言葉からも、このドラマが目先の課題解決ではなく、物語が終わっても続いていく答えの出ない問いを解くために必要な心構えを伝えていることがわかる。実際、御上先生の「考える力」は、目の前に積み上がった問題をクリアにできる魔法の言葉では決してない。それでも、これから社会に解き放たれる若者たちにとって、迷ったとき初心に立ち返ることができる御上先生の言葉はどれほど拠り所になることだろうか。

『宙わたる教室』と「教育」における平等

『宙わたる教室』になぜ誰もが夢中になったのか 再び会いたい科学部のメンバーたち

もう火曜日が来ても、藤竹(窪田正孝)や岳人(小林虎之介)に会うことはない。その当たり前の事実が、途方もなく寂しい。3カ月前までは…

 そして、教育は特別な人間にだけ与えられた特権ではなく、すべての人々へと平等に開かれていると示してくれたのが、『宙わたる教室』(2023年/NHK総合)で定時制高校の教師として学校に赴任してきた藤竹先生(窪田正孝)だ。さまざまな事情と変えることのできないバックグラウンドによって、全日制の学校で学ぶことのできなかった生徒たちの前に現れた藤竹先生は、彼らに科学を学ぶことで広がっていく世界と、自分たちで試行錯誤しながら実践することの面白さを伝えていく。

 御上先生が生徒に対して現実の過酷さを包み隠さずに伝えるのならば、藤竹先生は現実に存在する壁を取り払うべく、学びを通して生徒たちとともに希望を見出そうとする。ふたりとも決して希望論を口にしているわけではない。生徒たちがまだ知らなかった未来の可能性を提示したうえで、増えた選択肢をもとに自分たちで「考えること」の大切さを説いている。

 これは想像でしかないが、御上先生と藤竹先生の授業を受けた生徒たちは、彼らふたりが仮にいなくなったとしても、これから先の人生を自身で考えながら歩んでいけるのではないだろうか。目的地までの最短距離ではなく、楽に移動するための手段でもないが、彼らは迷いながらも進んでいける「人生の指針」を手に入れることができたのだから。

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