『御上先生』は“いま”観るべき作品に 「パーソナルイズポリティカル」がもたらしたもの

『御上先生』は2025年のいま観るべき作品に

 『御上先生』(TBS系)最終話では、ちりばめられた線がつながり、一つの大きな絵を描いた(※本記事ではドラマ本編の内容に触れています)。

 葬儀場に足を踏み入れる喪服の男。最終話は6年前の出来事から始まる。不正入学を暗示するファックスの送り主「ヤマトタケル」は、文科省官僚の槙野(岡田将生)だった。なぜ槙野は御上(松坂桃李)と組んだのか。部下を死なせた後悔を胸に抱いた槙野は、御上とともにゆがんだ教育行政を変えることを誓った。槙野も、御上と同じく「Personal is political(個人的なことは政治的なこと)」が出発点にあった。

 槙野が中岡(林泰文)から引き出した供述と冴島(常盤貴子)が神崎(奥平大兼)に託した入学者のリストがそろったことで、御上の「プランオカミ3」が発動する。リストには3年2組の生徒の名前もあった。千木良(髙石あかり)は代議士の父の手引きで隣徳に入学した。「みんなの人生が壊れる」と悩んでいた千木良はクラスメイトの前で事実を認めた。

 第1話から最終話まで、御上が一貫して訴えたのは考えること。答えの出ない問題を前にして、思考停止するのは簡単である。「戦争はいけない」はその通りだが、「正しい戦争はあるか」と問われたときにどう答えるか。個別の事情を知って、それでも反対と言いきれるか。「戦争」と「やむを得ない武力闘争」はどう違うのか。国策として行われる戦争を直視し、政治に意志を託すこと。大事なのは考えることだ。

「考える力っていうのは答えを出すためだけのものじゃない。考えても考えても答えが出ないことを、投げ出さず考える力のことだ」

 最終話で「考えること」は痛みから目をそむけないこととして描かれていた。千木良の苦しみは、背負わされた枷をなかったことにできない自覚から発している。仲間がつらい目に遭うと知って、それでも報道の使命をまっとうした神崎は「ハゲワシと少女」の写真家ケビン・カーターの葛藤を引き受けていた。溝端(迫田孝也)は生徒のためにやるべきことを思い出した。

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