ルッソ兄弟のSFアドベンチャー『エレクトリック・ステイト』が意義を持つ作品になった理由

自分の利益のために密輸で稼いでいたキーツらや、組織のなかで倫理に反する行為に加担させられていたアマースト博士のような人々までもが活動に共鳴していくのは、社会を変革するためには、社会問題への意識の低い人々や、体制に協力している人々をも巻き込んでいく必要があることを表現しているのだと思われる。
なかでも、ミシェルから「嫌な奴(asshole)」呼ばわりされていたキーツは、大きな悲劇のなかで挫けそうになるミシェルを勇気づけ、「いつ“嫌な奴”をやめたの?」と言われるくらいに変化を遂げる。そして髪を切った展開に沿うかたちで、「やめてないよ。髪を切っただけだ」と返答するセリフが良い。ここではユーモアとともに、もともと彼はロボットを弾圧する社会を「“クソな世界”」として認知していて、正義感や仲間を思う気持ちが備わっていたことが示されるのである。
現実の世界でも、移民や多様な人種、性的少数者や、さまざまなバックグラウンドを持つ人々が、本作におけるロボットを弾圧する人間たちのような人々から、偏見を広め分断を深める被害を受けている状況がある。マジョリティが多様性や平等を求めて運動することは進歩だといえるが、そのことでむしろ反発に遭うという“揺り戻し”、「バックラッシュ」が、社会にさらなる弾圧を生んでいるのである。本作の監督であるルッソ兄弟は、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』(2016年)でも正義の対立を描いたように、現実の状況が投影された“社会的分断”を題材にしてきている。
本作が製作されていたのは、もちろん2024年大統領選の前。奇しくも本作の内容は、移民や有色人種、性的少数者など、アメリカ社会におけるマイノリティへの風当たりが強くなる状況に、皮肉なかたちでぴったりと沿うものになってしまったといえる。多くのマイノリティにとって、まさに本作で言われる「クソな世界」が到来したといえるのではないだろうか。
そこで大きな希望となるのは、本作の主人公ミシェルや、その弟クリストファーのような、偏見に染まっていない若い世代である。例えば、大気汚染による気候変動問題について、世界の若い世代が同時多発的に声を挙げるといった現象が起きているように、これからの社会を担っていく人々が、古い価値観を打破する力になり得ることについて、本作は期待とともに描いているといえよう。
そしてクリストファーが、人間とロボットのどちらの存在にもなることが暗示しているように、社会に生きる多くの人々は、部分的にマジョリティであったり、部分的にマイノリティであることが両立している場合がほとんどであるといえるのではないか。自分を多数派だと思って、それ以外を排除しようとする人たちは、いつか自分自身の一部や、自分の大事な人をも排除することになると考えられるのだ。
原作に大きな改変を加えている本作『エレクトリック・ステイト』は、人間とロボットという、AIの爆発的進化がかかわる現在の状況のなかで、このような問題を中心に据える決断をしたのだといえる。そして本作は、「クソな世界」が到来したからこそ意義を持つ作品になったといえるのである。
■配信情報
Netflix映画『エレクトリック・ステイト』
Netflixにて独占配信中
監督:アンソニー・ルッソ&ジョー・ルッソ
原作:シモン・ストーレンハーグ
出演:ミリー・ボビー・ブラウン、クリス・プラット、キー・ホイ・クァン、ジェイソン・アレクサンダー、ジャンカルロ・エスポジート、スタンリー・トゥッチ
ボイスキャスト:ウディ・ハレルソン、アンソニー・マッキー、ブライアン・コックス
























