アラン・ドロン、ドナルド・サザーランドら、2024年に逝ける映画人たちを偲んで

2024年に逝ける映画人たちを偲んで

 2024年も、多くの映画人が惜しまれつつ世を去った。時代の節目を感じさせるような往年の大スターとの別れ、業界に多大な貢献を果たした大物の大往生、再評価が叶わないまま迎えた口惜しい最期……ここに哀悼の意を込めて、海の向こうから届いた訃報をいくつか振り返ってみたい。

アラン・ドロン

アラン・ドロン(REX/アフロ)

 8月18日、88歳没。二枚目の代名詞として世界的人気を誇った大スターである。1960年、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』と、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』に出演して名声を高め、以降は国際的に活躍。単なるハンサムの枠を超え、演技力とムードを兼ね備えた稀代の俳優として、ジャン=ピエール・メルヴィル、アンリ・ヴェルヌイユ、ジョゼフ・ロージーといった世界の巨匠たちに愛された。一方でフランス娯楽映画の雄として、ジャン=ポール・ベルモンドとトップスターの座を争い、『ボルサリーノ』(1970年)で初共演。それから約30年の時を経て再共演した『ハーフ・ア・チャンス』(1998年)も話題を呼んだ。

 2000年代以降はTVシリーズ『アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ』(2003~2004年)などで健在ぶりを示したが、劇場映画の代表作には巡り会えず、2017年に引退を宣言。晩年は家族間の不仲がニュースになることも多く、その全盛期を思えば、少し寂しい最期だった。日本では2025年1月3日より、チャールズ・ブロンソン、三船敏郎と共演した西部劇『レッド・サン』(1971年)が4Kデジタルリマスター版でリバイバル公開。ぜひスクリーンでその雄姿と再会してほしい。

ドナルド・サザーランド

ドナルド・サザーランド(REX/アフロ)

 6月20日、88歳没。1935年カナダ出身、イギリスで演技を学び、70年代に「時代の顔」となった性格俳優(キャラクター・アクター)だ。当たり役はなんといっても『M★A★S★H/マッシュ』(1970年)だが、監督のロバート・アルトマンとは現場で衝突したため、出演はこれ1本きりとなった。以降、主演・助演を問わずコメディリリーフから悪役まで幅広く演じたが、単純明快なヒーローはほとんど専門外。『赤い影』(1973年)『イナゴの日』(1975年)『SF/ボディ・スナッチャー』(1978年)『針の眼』(1981年)といった代表作からもわかるとおり、クセのある作品がよく似合った。

 90年代以降は上手に年を取り、老優としての味わい深さを増した。今年3月に亡くなった『バグダッド・カフェ』(1987年)のパーシー・アドロン監督と組んだ『グローリー・デイズ/夢見る頃はいつも』(1993年)もその1本。亡き妻の幻影に誘われて若返っていく女たらしの貸倉庫オーナーをチャーミングに演じ、その後もハリウッド御用達のバイプレイヤーとして活躍。独裁者を演じた『ハンガー・ゲーム』シリーズ(2012~2015年)で若者世代にもしっかりインパクトを刻みつけ、充実した役者人生を歩み切った。

シェリー・デュヴァル

シェリー・デュヴァル(REX/アフロ)

 7月11日、75歳没。彼女もまたロバート・アルトマン作品をきっかけに、70年代アメリカを代表する女優となった。デビュー作『BIRD★SHT』(1970年)以降、その個性的なキャラクターが重宝され、『ボウイ&キーチ』(1974年)『ナッシュビル』(1975年)『三人の女』(1977年)などに出演。人気カートゥーンの実写化『ポパイ』(1980年)ではヒロインのオリーブ・オイルを驚きの再現度で演じてみせた。もちろん、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』(1980年)で見せた迫真の熱演も忘れがたい。殺人鬼と化した夫(ジャック・ニコルソン)と戦う羽目になる妻デュヴァルの崩壊寸前の表情こそ、最もホラーだった。

 2002年には俳優業から引退。精神疾患と闘っている状況も伝えられたが、コロナ禍発生後の2021年には『The Hollywood Reporter』の取材に応え、気さくなインタビューと柔和な笑顔でファンを安心させてくれた。生まれ故郷のテキサスが、彼女の終の棲家ともなった。

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