『光る君へ』は“ラブストーリー”を超えた 吉高由里子×柄本佑が生んだ水面のような余韻
まひろをはじめとして、女性たちのパワーが強すぎて、藤原道長の政治家としての活躍はいまひとつ描かれなかった。それもそうで、柄本佑が取材で明かしているが、台本に書かれた道長はまひろのことしか考えていないという。まひろに下流の庶民も苦しまないで済む良き社会を作ってほしいと願われて、そのためだけに道長は動いてきたのだ。『光る君に』においては。
道長の有名な「望月の歌」にしても、いまの自分に慢心した歌という説もあるが、けっしてそうではなく、いま、この月を愛でるという極めてたわいないものであったという研究者のひとつの解釈に基づいて書かれた。
かくして道長が権力を得るために多くの邪魔者を徹底的に潰していくような権力志向の人物という印象は薄れたが、第45回で敦康親王(片岡千之助)が亡くなるときナレーションは「道長によって奪い尽くされた生涯であった」と語る。淡々と語られただけだが「奪いつ尽くされた」というのはなかなか穏やかではない。
本来、一条天皇は敦康親王にあとを継がせたかったが、定子の息子である敦康親王を道長は無理矢理外した。命を奪ってはいないが、道長は自分の家を優先するために他者の未来を邪魔してきた。『光る君へ』ではそこを深堀りすることはしなかった。でもナレーションの一言はなんだか小さな棘のように胸の片隅に残って消えない。
物語の象徴として映されてきた月は満ちた瞬間、すぐに欠けていく。欠けたものを埋めたくて、人はもがき続ける。だがようやく満ちてもまたすぐ欠けてしまう。この無常な自然の営みのごとく人間はけっして満たされることはない。風雅な教養人たちが武力を伴わない知性で政治を行っていた平安時代が終わると、時代は武士たちによって荒れ野のように変容していく。人間の満たされない欲望のなせる技である。
どうしようもない人間の宿命を、吉高由里子と柄本佑が、清廉潔白ではなく、欠点もたくさんあるような、いつも揺らいでいる人として演じ、水面のような余韻を残した。
参照
※ https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/528c7ef541515d4f76314152b4a913a559c6891e
■放送情報
『光る君へ』
NHK総合にて、毎週日曜20:00〜放送/ 翌週土曜13:05〜再放送
NHK BS・BSP4Kにて、毎週日曜18:00〜放送
NHK BSP4Kにて、毎週日曜12:15〜放送
出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、井浦新、高杉真宙、吉田羊、高畑充希、町田啓太、玉置玲央、板谷由夏、ファーストサマーウイカ、高杉真宙、秋山竜次、三浦翔平、渡辺大知、本郷奏多、ユースケ・サンタマリア、佐々木蔵之介、岸谷五朗、段田安則
作:大石静
音楽:冬野ユミ
語り:伊東敏恵アナウンサー
制作統括:内田ゆき、松園武大
プロデューサー:大越大士、高橋優香子
広報プロデューサー:川口俊介
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろうほか
写真提供=NHK