北村有起哉&緒形直人の矜持と覚悟 『おむすび』が正面から向き合った“食べて生きる”こと
いけない、先を読みすぎた。朝ドラことNHK連続テレビ小説『おむすび』の第8週で、対立する沙智(山本舞香)と佳純(平祐奈)の「それぞれの個性を認め、気を使いながら、繋いでいく」結(橋本環奈)の「結ぶ能力が今後発揮されていくのかもしれない」と書いたら(朝ドラヒロインはどうあるべき? 『おむすび』主人公の名前が結/ムスビンである理由)、第10週で、結が、こじれた美佐江(キムラ緑子)と孝雄(緒形直人)の関係を結び直し、歩(仲里依紗)が結の名前は人と人を結ぶのだと語った。この場面を観て、毎日や毎週の評論は先を読みすぎてもいけないと反省する。とはいえ第8週で第10週への流れが作られていたことがわかったと前向きに考えたい。
第50話で結がサブタイトルの「人それぞれでよか」の「人それぞれ」に説得力をもたせたのは野菜の知識だった。糸島から送られてきたアスパラガスを見て結は人間も同じだと考える。アスパラガスがうまく育つには3年もかかるように、野菜は種類によって育つ時間が違う。そこでは言及していないが気候などの環境によっても左右されるだろう。不作のときもあるだろう。それでも辛抱強くつきあって育て、やっと豊作を享受できるのだ。
デリケートで時間がかかるのが孝雄である。震災で愛娘・真紀(大島美優)を亡くしてから自暴自棄になり、靴屋は開店休業状態だ。12年もの間、彼はどうやって生計を立てているのか。行政から何か保証が出ているのかと思って調べると、12年生きていけるほどの金額ではまったくない。謎であるが、そこはさておく。語らないことはドラマのなかでは不要か、あるいはあとでわかる仕掛けになっているものである。例えば、とても明るく見えた美佐江は、実は兄夫婦を震災で亡くしていたことがこの週ではじめて明かされた。彼女の場合は、辛いことがあっても前を向いて生きるしかないと思って生きているのだ。だから、前を向けない孝雄が歯がゆくてならない。
過去を引きずり続ける孝雄は、引っ越すでもなくずっと元の店舗兼住居で暮らしている。そのわけはおそらく娘の思い出から逃れられないからだ。娘の思い出を維持するための最低限の資金は何らかで稼いでいるのかもしれない。孝雄のような人が身近にいたら大丈夫なのかと心配になるが、12年の時間のなかで商店街の人たちはそっとしておくしかないという域に達しているのだろう。
ブランクを経て神戸に戻ってきた聖人(北村有起哉)は諦めの時間を経ていないので、孝雄が気になってならず、手を差し伸べようとする。歩は亡くなった真紀が無二の親友だったので、孝雄から娘の墓参りに来るなと言われて、意地になる。彼女だって真紀の死を乗り越えられないでいるので、孝雄の気持ちに寄り添いたいのだろうと思う。
こういうときどうするのか適切なのか難しい問題である。聖人と歩は孝雄の「職人としての仕事」に着目し、仕事に集中することで生きる意思を蘇らせることができるのではないかと働きかけはじめる。
「職人」という言葉は北村有起哉が台本に足したいと提案したそうだ。「職人」という言葉が足されたことで聖人の心情がひじょうにわかりやすくなった。聖人自身もまた、父・永吉(松平健)に圧倒的に敵わないと感じながら、自分らしさを見出そうと努力していて、それが理容師として自立することである。そのためには技術を高め、知識を増やし、鍛錬していくしかない。家に帰れば、娘のシャンプーを使ってしまいほかのシャンプーを継ぎ足してごまかすようなとぼけた父ではあるが、米田聖人としての葛藤や努力があるのだというところまで、演じきりたいと考える俳優の気持ちがあるのではないだろうか。それもまた北村有起哉の俳優という職人の矜持であろう。
と同時に、孝雄を演じる緒形直人の覚悟にも感動する。NHKから出された緒形のコメントが印象的だ。
緒形直人、『おむすび』孝雄役への思い 「こうした人が現実にいることを絶対に忘れないで」
NHK連続テレビ小説『おむすび』に出演している緒形直人のインタビューコメントが公開された。 本作は、平成・令和を舞台にしたオ…
「心の復興は人それぞれ違います。阪神・淡路大震災だけでなく地震大国である日本で、こうした人が現実にいることを絶対に忘れないでほしい。そういった意味でもしっかりと悲しむ、しっかり辛い顔をした演技を朝から届けていきたいですね」とある。コメントを「しっかりと悲しむ、しっかり辛い顔をした演技を朝から届けていきたい」と結んでいるのだ。(※1)朝から、悲しく辛い顔を見たくないという声もあることを想定したうえで、そういう人のために表現を柔らかにしないという意思。これもまた俳優という職人の矜持だと感じる。