“発明”にとりつかれた男、クリストファー・ノーランが『オッペンハイマー』に至るまで

【作家分析】クリストファー・ノーラン

『オッペンハイマー』のやむにやまれぬ決意と共鳴

『オッペンハイマー』©Universal Pictures. All Rights Reserved.

 原子爆弾という、巨大かつ忌まわしい発明に挑んだ男の肖像に迫った『オッペンハイマー』には、ノーランの深い共感と、とめどない好奇心が充ち満ちている。オッペンハイマーが仲間の科学者たちをかき集め、ニューメキシコの砂漠で原爆開発に邁進する姿は、ノーランが優れたスタッフやキャストとともに映画を作っていく姿とも重なる。世界の条理を一変させた稀代の科学者に自らを重ね合わせる映画監督の姿は不遜に見えるかもしれないが、そこまでの強い思いがなければ、彼がこれだけの情熱と気魄をもってこの企画に挑むことはなかっただろう。

 「巨大さ」の表現は、ストーリー・映像ともに、これまで以上に極まっている。前者については、米国史上最大規模の極秘国家プロジェクトである「マンハッタン計画」という題材のみならず、ドラマの随所に散りばめられたコントラスト、アンビヴァレンツ、アイロニーといった要素の規模も破格だ。核反応という極小世界での現象が莫大なエネルギーを生み出す不思議、オッペンハイマー個人の内奥に広がる精神宇宙、世界平和のための発明が人類に破滅をもたらすという壮大な皮肉……「物差しがバグる」ほどのスケール感は、まさにノーラン好みと言えよう。

 映像面では、『ダークナイト』以降の作品で活用されてきたIMAX撮影が、今回も大胆に、意表をつくかたちで威力を発揮している。今回、フルIMAXバージョンを観て最も驚かされたのは、「画面サイズへのこだわりのなさ」だ。これまでも撮影フォーマットによって画面サイズは変化していたが、『オッペンハイマー』は特に変化が目まぐるしい。広大なロケーション、俳優の迫真の表情、物語における決定的瞬間など、ここぞというタイミングで自由闊達にフォーマットが切り替わる。「かつてない映像体験」を志向するノーランが、もはや従来の映画のフォーマットにも一切執着していないさまはなかなか衝撃的だ。撮影監督ホイテ・ヴァン・ホイテマの対応力にも感心するが、いまだに映画の新たな可能性を切り拓こうとするノーラン作品の現場は、彼ら映画人にとっても憧れの環境なのだろう。

 もうひとつ、絶大な効果を発揮しているのが、ルドウィグ・ゴランソンの音楽である。ある印象的な効果音をモチーフにした音楽は「制御不能であること」の恐ろしさに溢れ、ほとんど強迫的に観客とオッペンハイマーを追い立てていく。まるで動き出したが最後、誰にも止められない巨大な機関の駆動音のようだ(まさかこんなところで黒沢清テイストに出会えるとは)。『TENET テネット』以来の共犯者ゴランソンによる、作品のテーマを見事に具現化した傑作スコアである。

 また、本作では時制が複雑に入り乱れるように見えて、実は映像の色や質感、何より主人公の「状態」の類推によって時代区分が明確に整理されている。その構造は『フォロウィング』を強く思い出させるものだ。杓子定規な時空の概念から離れて長大な年代記をアクロバティックに整理した構成は、カート・ヴォネガットの小説『スローターハウス5』を想起させる。さらに膨大かつ巧みに練られたセリフの妙も相まって、文学的な香りも濃い。『オッペンハイマー』はノーランの集大成ともいえる傑作だが、キャリア初期のテイストも同時に思い出させる、不思議な作品である。 

『オッペンハイマー』メイキングカット ©Universal Pictures. All Rights Reserved.

 ノーランは『オッペンハイマー』を、単なる叙述形式の伝記映画にはしなかった。むしろ極めてプライベートな心情を塗りこめた作家映画のようにも見える。先述の『スローターハウス5』のように、主人公の意識と肉体がランダムに時空を行き来するSF映画のようでもあるし、また宮﨑駿監督が零式艦上戦闘機の開発者・堀越二郎の夢と現実をファンタジックに描いた『風立ちぬ』(2013年)にも似ている。そこには、ノーランのやむにやまれぬ個人的な決意と共鳴、オブセッションを感じずにはいられない。

 2012年、『ダークナイト ライジング』公開中の米コロラド州オーロラの映画館で銃乱射事件が起き、死者12人を含む多数の被害者が発生した。もちろんノーランはその前から映画というメディアの影響力は思い知っていただろうが、事件が与えたショックは決して小さくなかったはずである。それでも、映画界随一の「発明家」として、制御不能なほど巨大なプロジェクトに挑み続ける野心は抑えがたく、ノーランは他の追随を許さないキャリアを築き続けた。きっと今後も彼の挑戦と冒険は続くだろう。

 世界を変えるほどの発明を成し遂げるということは、1人のちっぽけな人間の体では支えきれないほどの重圧と責任がのしかかるということでもある。ゆえに『オッペンハイマー』は、ノーランがどうしても取り組まなければならない題材であり、その原罪に触れなければならない存在だったのではないか。その罪を正当化する安易な伝記映画にならなかったのも、至極当然の結果と言えよう。

■公開情報
『オッペンハイマー』
全国公開中
監督・脚本・製作:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス、チャールズ・ローヴェン
出演:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.、フローレンス・ピュー、ジョシュ・ハートネット、ケイシー・アフレック、ラミ・マレック、ケネス・ブラナー
原作:カイ・バード、マーティン・J・シャーウィン『オッペンハイマー』(ハヤカワ文庫)
配給:ビターズ・エンド ユニバーサル映画
2023年/アメリカ/R15
©Universal Pictures. All Rights Reserved.
公式サイト:oppenheimermovie.jp

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