映画が描くのは“答え”ではない 『マンティコア 怪物』に刻まれた世間や社会への“問いかけ”
映画が描くのは“答え”ではない。
とくに扱うテーマがタブーに触れ、物議を醸すようなものであるとき、その映画はむやみに答えを描かない。
タブーに触れ、物議を醸すようなテーマとは、たとえば世間の常識に反していたり、社会の秩序や道徳から逸脱していたりするもののことだ。人間の欲望や衝動ーー性や暴力などーーと結びつくことの多い、そういったテーマを扱う映画が描くものは、じゃあいったい何なのか?
それは世間や社会への“問いかけ”にほかならない、と『マンティコア 怪物』は宣言する。
『マンティコア 怪物』は、2016年に日本で公開された『マジカル・ガール』が話題を呼んだ、スペインのカルロス・ベルムト監督による最新作である。
彼にとって初の劇場公開作となった『マジカル・ガール』は、サン・セバスチャン国際映画祭でグランプリと監督賞を受賞し、同郷の巨匠ペドロ・アルモドバルから「心を打たれる衝撃的な映画」と称賛された。
架空のアニメーション『魔法少女ユキコ』に憧れる白血病の少女をめぐり、ブラックユーモアを交えて展開される物語は、日本のサブカルチャーに対する造詣の深さもさることながら、予想を裏切る、インパクトの強い脚本で日本の観客をも驚かせた。
『マンティコア 怪物』にも、「これから伊藤潤二の新作を買いに行くんだ」というセリフが登場するなど、日本のサブカルチャーに対する偏愛の一端がのぞく。と同時に、よく練り込まれた、『マジカル・ガール』以降のたしかな進歩を感じさせる脚本は、インモラルでショッキングなテーマを的確に浮かびあがらせる。
ストーリーの軸となるのは、主人公フリアンの恋だ。
空想のクリーチャーを生み出すゲームデザイナーのフリアンは、同僚の誕生日パーティーで出会った小柄でボーイッシュな女性、ディアナに惹かれていく。美術館に出かけ、クラブに行き、朝まで飲み明かしても一線を越えないふたり。
不器用だが、少しずつ距離を縮めていくふたりの恋のなりゆきを、観る人はあたたかい気持ちで見守ることになる。
ところがふたりの関係が十分に熟したと見えるところで、作品は序盤に提起していた、ある問題に立ちかえる。
ある日、自宅で作業をしていたフリアンは、アパートの向かいの部屋で子どもが火災に巻き込まれているのを発見した。鍵のかかったドアを蹴破り、少年を救出するフリアン。
一方で、少年を助け出したことをきっかけに、フリアンは強いパニック発作に襲われる。医師によると、それはストレスや恐怖に対する脳の自己防衛である、という。
彼は苦しむ。そしてその後に続くできごとが、人知れず抱えてきた彼の秘密を観る人に暴露する。
フリアンは街中のレストランで見かけた少年の姿を、その場でスケッチしていた。自宅に戻った彼は、そのスケッチをもとにVR空間上で少年の3Dモデルを作り上げ、完成したデータに手を伸ばす。VRゴーグルを装着した彼が、実際に何を目にし、どんな行動をしているかはわからない。しかし手を伸ばしたその動きはエスカレートしていき、やがてーー。
ラブストーリーを軸にしながら、作品の経過とともに徐々に明らかになっていくのは、フリアンが抱える性的な欲動に関する問題だ。