『ブギウギ』笠置シヅ子に憧れたのちの大スター美空ひばり 共通するステージへの強い執念
「流行歌は大衆の好むところにピントが合わないと終わりですからね」
NHK連続テレビ小説『ブギウギ』第117話での羽鳥(草彅剛)の言葉がグサグサと胸に刺さる。「もはや戦後ではない」と経済白書にも記され、新しい時代に突入した昭和30年代、スズ子(趣里)の人気もブギブームも下火になり始め、世間では若手の有望株である水城アユミ(吉柳咲良)に注目が集まりつつあった。テレビ局でスズ子にばったり会った水城は、自分がスズ子の大ファンであることを明かした。
スズ子のモデルである笠置シヅ子が活躍した時代にも、シヅ子に憧れ、のちの大スターになった人物がいる。のちに「歌謡界の女王」と呼ばれ、「愛燦燦」「川の流れのように」の大ヒット曲で知られる美空ひばりである。ひばりはシヅ子のブギの物まねでブレイクし、別名「ベビー笠置」と言われていたのだ。
『ブギウギ』には“不在”の美空ひばりも 笠置シヅ子らスターの渡米が相次いだ1950年代
NHK朝ドラ『ブギウギ』の第23週では、スズ子(趣里)にアメリカ公演の話が舞い込む。娘の愛子(小野美音)を日本に残して渡米するこ…
ひばりは1937年(昭和12年)生まれ。両親は魚屋を経営していたが、歌が好きで、家にはレコードがあったという。ひばりもその影響を受け、幼い頃から歌謡曲や流行歌を歌うことが好きだったようだ。娘の歌に人を惹き付ける可能性を見出した母親の努力もあり、ひばりは8、9歳頃から人前に立って歌うようになる。
シヅ子に服部良一という歌の師匠がいたように、ひばりには川田晴久という歌の師匠がいた。川田は自身も昭和期を代表するエンターテイナーだったが、まだ無名で少女という言葉が似合うひばりの才能を見込んで、そばに置いて可愛がり、それに答えるようにひばりも川田のことを「アニキ」と呼んで懐いていた。ひばりの歌い方は川田とよく似ているとされ、その影響が見て取れる。
シヅ子は持ち歌を自分以上に上手く歌うひばりのことを早くから知っており、時には自分の楽屋にひばりを呼んで、遊び相手をし、かわいがったというエピソードが残されている(※)。