『ブギウギ』に内藤剛志と“刑事ドラマ”が必要だった理由 エンタメの裏側にある大切なもの

『ブギウギ』に内藤剛志が必要だった理由 

 物騒なエピソードにびっくり。朝ドラことNHK連続テレビ小説『ブギウギ』第24週「ものごっついええ子や」では愛子(このか)の誘拐未遂事件が起こった。

 妻を亡くし、男手ひとつで息子を育てている貧しい父親が食い詰めたすえ、スズ子(趣里)を脅迫する。娘を誘拐されたくなかったら3万円を出せというのだ。

 事実は小説より奇なりである。スズ子のモデルである笠置シヅ子は実際に娘を誘拐するという脅迫を受けたことがあった。

 戦後、笠置の歌が大ヒットし、世田谷に360坪の土地を購入し豪邸を建て、そこに200人もの招待客を呼んで娘の誕生パーティーを、4歳から毎年開催した。笠置の裕福な生活はマスコミで紹介され、憧憬を募らせる庶民たちもいる一方、嫉妬を覚える者たちもいた。そんななかで起こった脅迫事件のことが、笠置の評伝『ブギの女王・笠置シヅ子 心ズキズキワクワクああしんど』(砂古口早苗著)に記されている。

左から、福来スズ子(趣里)、大野晶子(木野花)。 スズ子の家・居間にて。愛子を誘拐するという電話口の相手と話すスズ子。

 『ブギウギ』はこの評伝に描かれた、トップスターに登りつめた笠置を面白くなく思う同業者や一般庶民の心情を、オリジナルキャラである貧しい父子に託した。愛娘の誘拐を企てた犯人・小田島大(水澤紳吾)が、愛子がはじめて友達になった少年・一(井上一輝)の父であったことを知ることで、スズ子たちとは違う世界に生きる、貧しい生活を強いられている人たちの存在を痛感する。

 歌が人の心を癒やし、元気づけ、救うことがある。実際、戦後、スズ子の歌が爆発的にヒットしたのは、たくさんの人たちが彼女の歌に元気をもらったからであることは間違いではないだろう。戦後復興に向けた日本人の情熱を、スズ子のパワフルな歌と踊りが煽った。

 歌はラジオやテレビ(1953年から)から流れてくるものを聞くことができるから全国区でたくさんの人が聞くことができるとはいえ、レコードやコンサートに費やす余裕のない人もたくさんいただろう。

 有名人の豪邸拝見や贅沢な暮らしはそれだけでもエンタメになることもあるが、なかには苦痛にしかならない人だっている。それは現代だって同じで、そのことを震災やコロナ禍によって強烈に突きつけられた。

 エンタメは「不要不急」とされ、エンタメに従事している人たちはショックを受けた。ひとりでも観たい人がいるなら舞台をやり続けるという矜持で公演を続けた者もいれば、そうすることに疑問を持つ者もいた。また、公演を続けないと収入が得られず、物理的に困る人たちもいた。

 戦争のときもそうであったように、有事が落ち着けば、そこからエンタメが必要とされる。機会を伺いひっそりとしているしかない。とはいえ、エンタメを生業にしている者はどうしたらいいのか。そんなことで悩み苦しむエンタメ従事者がたくさんいた。答えはいまだに見えてはいない。

 『ブギウギ』がはじまったときは、戦後を明るくした笠置シヅ子をモデルにして、歌や踊りやエンタメの力で人々を元気させるドラマなのだろうと思って、それこそ、ワクワクしていた。4年も続いたコロナ禍もようやく収まってきて、解放的な気分になっていたからいいタイミングな気がした。

 だが、世界では戦争は激化していた。さらに2024年が明けた瞬間に能登半島地震が起こり、歌って踊ってワクワクという気分にはなれないものがあった。コロナ禍が明けたというのに、日本全体の復興はまた一歩遠ざかったような気もしてしまう。そのときにはドラマの撮影も佳境であっただろうから、いまの日本の状況を取り入れることができなかったと思うが、戦争のこともあって、『ブギウギ』は一見、歌って踊ってワクワクのようで、その実、エンタメバンザイのドラマに舵を切っていなかった。第24週は、その象徴的な週で、隣人の状況に思いを致すことが描かれたのだ。

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