『千と千尋の神隠し』が呼び起こすノスタルジックな“ふるえ” 誇張された涙が意味するもの

『千と千尋の神隠し』誇張された涙の理由

 スタジオジブリが制作した長編アニメーション映画として8作目となる宮﨑駿監督作品『千と千尋の神隠し』が、2024年の干支「辰」にちなんで、年明け最初の『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で放送される。

 日本では2001年に公開され、ジブリ作品としての興行収入1位となる大ヒットを記録した本作。海外では『Spirited Away』のタイトルで上映され、評論家からも高い評価を得た。

 英語版タイトルからも分かる通り、少女が異世界へと迷い込み、現実世界とは隔たれた場所に住まう八百万の神たちと邂逅する本作は、ジブリ作品の中でも特にスピリチュアルで精神的な世界観を纏った作品だ。本稿では、そんな本作での各場面に見られる「観客の深層心理に訴えかける精神的かつ心理的な描写」に注目し、映画を紐解いていきたい。

 主人公の少女・千尋は、引っ越し先で偶然見つけた不思議なトンネルをくぐった向こう側にある神々が集う油屋にたどり着き、客向けに用意されていた食べ物を無断で食べ、豚に姿を変えられてしまった両親を元に戻すため、そこを取り仕切る湯婆婆の元で働くことになる。異世界へと迷い込んだ時から千尋のことを気にかけ、世話を焼いてくれる少年・ハクに、豚にされた両親の元へ行って意気消沈した千尋は握り飯を与えられる。

「千尋の元気が出るようにまじないをかけて作ったんだ」

 そう言われ、千尋は握り飯を食べながら大粒の涙を零す。ここでの「涙」が現実より誇張されて描かれているのは、宮﨑監督直々に絵コンテで「涙は大きく」と指示があったからだ。親の元を離れ、異世界で生き抜かなければならない千尋の心細さと不安が一気に涙という形で溢れ出る。涙を流す、というアクションを「最も大々的な、かつ等身大な感情の表出」として考え、千尋の心情をよりダイレクトに伝えるための(ジブリ印の、とでも言おうか)宮﨑監督が得意とする描写が垣間見られるシーンだと考えていいだろう。

 他にも、具体的に起こる(見える)事象ではなく、観客ないしは登場人物の深層心理に寄せて描き起こされたと考えられるシーンがある。終盤、ハクを助けるために「沼の底の駅」へと電車で向かう千尋。乗り込んだ電車の中には黒い人影のような乗客がうごめいていた。そして、車窓を流れる景色の中に見える、離れ小島と一軒の家。

 筆者はこれを「心象によるまぼろしの光景」と捉えた。千尋が赴いた電車の旅は現実的なものではなく、彼女の心の旅、いうなれば深層心理の中での出来事と推測する考察を下敷きにするならば、車窓=千尋の心の窓から見えたこの光景は、彼女自身がいつかどこかで見たことのある風景、もしくは今まで見てきた複数の光景の集合体(イメージ)なのではないかと考えられる。大切な人のために向かう帰りの切符がない電車の旅は、人生というレールの上を走る一度きりの精神の旅なのかもしれない。

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