『ゴジラ-1.0』徹底考察 第1作『ゴジラ』や『シン・ゴジラ』、山崎貴の作家性から紐解く

山崎貴監督作『ゴジラ-1.0』徹底考察

 時代を超える傑作である第1作(1954年)以来、半世紀を超える映画シリーズとして絶大な人気を誇る『ゴジラ』。近年日本のシリーズでは庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』(2016年)が新鮮な魅力をシリーズに与え、ブームを巻き起こした。海外でも『ゴジラ』シリーズのファンは多く、ハリウッドでは大作となる映画シリーズが作られ続け、スピンオフドラマ『モナーク:レガシー・オブ・モンスターズ』も展開される。

 そんな「ゴジラ」の本家となる東宝が、実写映画作品30作目『ゴジラ-1.0』を、生誕70周年記念作品の節目を迎えるタイミングで送り出した。監督は、『ALWAYS 三丁目の夕日』シリーズや『永遠の0』(2013年)を日本で大ヒットさせた山崎貴監督。『ALWAYS 続・三丁目の夕日』(2007年)では、昭和34年の日本を舞台にゴジラを劇中に登場させ、パロディの域を超えたシーンを用意していたように、山崎監督の「ゴジラ」への思い入れの強さは周知のものとなっている。それだけに、やはり気合の入り方が違う。

 果たして、そんな山崎監督による『ゴジラ-1.0』の内容はどうだったのか。第1作『ゴジラ』が、多面的に語れる総合的な娯楽映画だったことを踏まえて、さまざまな角度から検証することで、本作『ゴジラ-1.0』が何だったのかを明らかにしていきたい。

以下、ゴジラ-1.0のネタバレを含みます

 今回の舞台となるのは、太平洋戦争の末期から戦後復興のただなかにあった時代の日本。各都市が空襲や原爆投下によって破壊され、ポツダム宣言を受諾し無条件降伏をした日本は、いわば全てを失った「ゼロ」の状態。そんな日本をさらに破壊王・ゴジラが蹂躙し、ゼロどころかマイナスの状態にされてしまうという設定が、タイトルの意味となっている。

 怪獣特撮映画、ディザスター映画の側面からの点において見ると、評価できるポイントが多い。南の島で旧日本軍の基地が襲われる際、漆黒の闇から不意打ちのように登場するゴジラの意外な姿が印象的であるように、本作はスペクタクルとしての「ゴジラ」の表現を郷愁として表現はしていない。ゴジラが海上を逃げる船舶に泳いで迫ってくるというパニック必至の趣向や、破壊される銀座を逃げ惑う人間の視点から見上げるように描かれる巨大なゴジラの姿、そしてその視点が巧みなカメラワークで動いていくことで立体的にその脅威が映し出されるなど、これまで見たことのない表現が次々に飛び出す。

 これは、近年の『ゴジラ』シリーズを意識した取り組みだと考えられる。映像への挑戦的な姿勢の強いギャレス・エドワーズ監督の『GODZILLA ゴジラ』(2014年)が、ゴジラの身体の部分部分にフォーカスしたり、霧に包ませるなどの巧みな演出でゴジラの巨大さや不気味さを際立たせていたり、“怪獣至上主義”を自他ともに認めるマイケル・ドハティ監督の『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019年)が、まるで神々しい宗教画のようにゴジラたちを描いていたり、また庵野監督が『シン・ゴジラ』でアニメーション的な演出や、圧倒的な“異物”としてゴジラを表現したりと、さまざまな作家が、シリーズのなかで際立った個性を発揮してきているのである。

 そんな圧倒的な個性を放つ作品群を前にして、少なくとも並ぶものを提供しなければならない……そのようなプレッシャーが、山崎監督を斬新な手法で「ゴジラ」を描くという方向に進ませたのだろう。『シン・ゴジラ』や他のシリーズにおける伊福部昭の音楽のフレーズを利用しながらも、これまでの『ゴジラ』映画への思い出を再現するような作品にしないというアグレッシブな姿勢は、確かに歓迎できるところだ。『シン・ゴジラ』のVFXも手がけたスタジオ白組は、これまで山崎作品との繋がりが深い。戦艦や戦闘機など、監督のこれまでのキャリアの集大成となる映像の完成度は、この白組とのタッグによって高められ、『シン・ゴジラ』以上のアクロバティックな映像表現が楽しめる。

 一方で、『シン・ゴジラ』を意識し過ぎたと思える点もある。本作における“『ゴジラ』映画の華”といえる放射火炎のシーンでは、今回鋭く造形されているゴジラの背びれの各部が発光しながら、「ガシャッ、ガシャン」と飛び出してくる演出があるのである。おそらくは放射の際の熱を体外に放出するための機構であると想像されるが、この変形ロボットのような趣向は、「ゴジラ」の威厳を一部損なう結果になってしまったのではないか。ここは、『シン・ゴジラ』での熱線の表現が圧倒的なユニークさで表現されたことで、何か新しい趣向で対抗せざるを得なかった部分であると考えられるのだ。

 しかしながら、『シン・ゴジラ』における庵野監督の演出や、ゴジラの造形における画期的かつ意外性を求めた姿勢は、SFアニメーション作家としての自身のキャリアが下支えしたものであることを考えると、本作のここでの変形の理由には、いささか説得力が欠けていて、よりオーソドックスなデザインに戻ったゴジラの造形についても、必然性や明確な意図があまり感じられないのである。

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