山形国際ドキュメンタリー映画祭理事・藤岡朝子に聞く、ドキュメンタリー映画の魅力と変化
1989年に始まり、世界でも有数の国際ドキュメンタリー映画祭として知られる、山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下、YIDFF)が今年も開催される。新型コロナウイルスの流行によって2021年には初のオンライン開催に踏み切った同映画祭は、今年は完全復活を遂げるべく対面開催となる。
山形という地方から多くの作家を輩出し、長年に渡りドキュメンタリー映画の魅力を発信し続けてきた同映画祭は、アットホームな雰囲気を持ちながらも、エッジの効いた挑戦的な作品が上映されることも多く、映画のあり方や社会との関わり方について活発な意見が交わされる場でもある。そんな同映画祭の理事を務める藤岡朝子氏にドキュメンタリー映画とYIDFFの魅力について話を聞いた。
“コスパ”や“タイパ”とは真逆の魅力がYIDFFにはある
――YIDFFは2021年に創立以来初のオンライン開催となり、今年は久々のリアル開催となります。
藤岡朝子(以下、藤岡):YIDFFは、隔年開催なのでもう4年ぶりということで、みんなリアルの映画祭のやり方をちょっと忘れています(笑)。2年前のオンライン開催も、今の時代に合った繋がり方を発見できたとは思います。しかし、人が集まることの歓びこそが山形の一番の魅力ですから、それをもう一度再現していくことに今年は挑んでいきたいです。4年前とはスタッフも入れ替わっていますし、今の時代にどんな作品が集まるのか絶賛選考中ですが、今年も例年と同程度の2000本以上の作品の応募がありました。
――YIDFFでしか味わえない魅力はなんでしょうか?
藤岡:日常を離れて朝から晩まで、世界から集まったドキュメンタリー映画を浴びるように観る、それがこの映画祭だと思うんです。近年は、“コスパ”や“タイパ”という言葉に象徴されるように、費用対効果を重視して行動しがちですが、YIDFFで上映される作品は、ここで世界初上映の作品ばかりで、監督もこれが初作品という人も多いんです。ですから、事前情報が少なくて、基本的には観るまでどんな作品かわからない。そういう宝探しみたいな経験ができるのが、むしろこの時代には貴重な機会だと思います。映画祭には偶然の出会いがたくさんあるんです。隣に座った人が偶然映画監督だったり、香味庵クラブ(※)に行けば、前から会ってみたかった作家がそこにいて会話が始まったりする。偶然に開かれた出会いを経験できるんです。香味庵はコロナ禍中に廃業・取り壊しされてしまったのですが、今年はホテル内のレストランをお借りして、「新・香味庵クラブ」と称してみんなが集まれる場所を計画しています。
※香味庵クラブは、YIDFF期間中に開催される居酒屋。食事処「香味庵まるはち」の営業終了後から深夜2時まで営業し、映画祭に参加している監督や一般の観客も利用できる社交の場として機能していた。大正2年に建造された歴史ある建物で、国登録文化財にも指定されていたが、コロナ禍で閉店を余儀なくされ建物も取り壊された。
――近年の映画祭の観客層は、どんな世代が多いのですか?
藤岡:明らかに若返っています。私が山形の仕事に加わった1993年ごろは、特にアジア映画の上映にはご年配の方が多く、ドキュメンタリーは勉強になるとか、戦争責任がある、とか堅めの動機で観に来る方が当初は多かったですね。デジタル化で裾野が広がり、ドキュメンタリーはこんなに自由で面白いものだということが広まった結果、山形も改めて発見されているのだと思います。山形県内からやってくるお客さんは3割くらいで、現代アートや地方の芸術祭などにも足を運ぶような人たちも来ていますし、東京から学生の方なども来ています。
――YIDFFは作家を育てる場とも言えると思います。実際に、この映画祭をきっかけに世界に羽ばたいていった作家もたくさんいますね。例えば、第76回カンヌ国際映画祭に2本の作品を送り込んだワン・ビン監督とか。
藤岡:ワン・ビン監督のほか、タイで初めてカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したアピチャッポン・ウィーラセタクンも、初めての国際映画祭がYIDFFでした。河瀨直美監督も山形で作品が上映されたことでスイスの映画祭と知り合い、向こうで特集が組まれることになりましたし、世界との橋渡しを山形がある程度できたのかなとは思います。日本の映画配給会社の方たちもよく来てくれるようになったので、一般公開にこぎつける作品が増えたこともありがたいなと思っています。