映画に出てくるマルチバースはどこまでリアル? 理論物理学者・野村泰紀教授に聞いてみた
「マルチバース」。この言葉を今年に入ってから何度聞いただろうか。
第95回アカデミー賞作品賞を受賞した『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』、現在公開中の『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』、『ザ・フラッシュ』。これらの映画は、どれも“マルチバース”がテーマになっている。
マルチバースとは一体何なのか。私たちの住む宇宙以外にも、いくつもの宇宙が存在するとはどういうことなのか。マルチバースの中に、学校の先生になった私、警察官になった私、シェフになった私……いろいろなバージョンの“私”が存在するとして、その世界を観測することはできるのだろうか。
理論物理学者でカリフォルニア大学バークレー校教授の野村泰紀氏に話を聞いた。
「僕らと同じような宇宙もあるはず」
ーー最近はMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)をはじめ、多くの映画にマルチバースが登場していますが、ご覧になったことのある作品はありますか?
野村泰紀(以下、野村):『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』は、日本に行ったときに観ました。それから、『君の名は。』にも単語として出てきていましたね。本筋には関係ありませんでしたが、主人公の友達の1人がマルチバースに言及していました。
ーー映画に出てくる「マルチバース」と、野村さんが研究されている「マルチバース」は別物なのでしょうか?
野村:映画では大体、マルチバース間を自由に行ったり来たりできるという設定になっていますよね。そこは、科学とエンターテインメントの大きな違いだと思います。
ーーなぜ最近になって「マルチバース」という言葉が本格的に使われるようになったのでしょうか?
野村:私たちの宇宙において、宇宙がたくさんあると考えないと説明がつかないような現象が見つかったんです。その現象を理解するには、マルチバースが存在すると考えたほうがしっくりくるし、その仮説をもとに昔からある方程式を見直してみたら、実は宇宙がいくつもあるということが、もともと式の中に含まれていたことがわかったんです。
ーーいわゆる「泡宇宙」というものですか?
野村:そうです。僕らの宇宙は、泡のようにポコポコたくさんあるうちの1つということです。
ーーその発見は、いつ頃の話なんですか?
野村:「どうやら宇宙がたくさんあると考えるしかなさそうだ」という現象が見つかったのは、1998年です。簡単に説明すると、宇宙が人間にとって都合良く出来過ぎているんですよ。素粒子の質量とか、宇宙がどれだけ膨張しているかとか、そういうのを測っていくと、その値がちょっとずれただけで、人間どころか何も生まれない、スープみたいな宇宙になってしまうんです。では、なぜ全てが人間にとって完璧なバランスになっているのかというと、一つの考え方としては神様ですよね。神様が人間のために宇宙を作ってくれたんだという考え方。もう1つは、地球がこれだけ豊かな星であるのと同じ理由です。なぜ地球が生き物にとって住みやすいのかといえば、それは太陽系だけで8個も惑星があって、銀河の中だけでも1000億個くらいの惑星がある中で、ほとんどの星には何もないんですよ。ただ、いっぱいあるから、その中でたまたま地球が太陽からぴったりの位置にあっただけ。逆に言えば、生まれてきた人間が周りを見渡せば、全てが人間にとって都合良くできているに決まっているんですよ。
ーーなるほど。では、1998年頃からマルチバースが主流になってきたんですね。
野村:いえ、それは違います。マルチバースが提唱された当初は、誰も信じませんでした。1986年には、すでにスティーヴン・ワインバーグという人が、宇宙がたくさんあれば私たちの宇宙のある種の構造に説明がつくんじゃないか、ということを言っていたんですが、彼はノーベル賞受賞者だったのに皆あまり真剣に取り合わなかったんです。それが、1998年に新たな現象が見つかったことで、ワインバーグの論文が再評価されて、どうも信憑性があるということがわかりました。それでも、それから10年くらいは、なかなか受け入れられない時期が続きました。2006年〜2007年頃には、僕もすでに今の仕事をしていましたが、学会で研究発表をしても、議長から「どうも哲学の話をありがとう」なんて言われたりしていましたからね。
ーーたった10年ちょっとで、一気に常識が覆されたんですね。
野村:証明されたとは言えませんし、僕も言いませんが、相当有力な説ではあります。ただ、マルチバースが正しいとなると、地球と火星の大気の構成が全く違うのと同じように、別の宇宙では素粒子の質量や性質がまったく違う可能性があるんですよ。そうすると、今まで素粒子を調べれば全ての本質がわかると思っていたのが、どうもそうじゃないらしいということがわかって、僕の研究者個人としての人生にはものすごいインパクトがありました。
ーーあくまで今いる“泡”のことしかわからないんですね。
野村:そうです。「素粒子物理は神の言葉だ!」と言って研究していた人たちからすると、全人生を否定されたような感覚だったんじゃないでしょうか。だから、宇宙がたくさんあると言われても最初は否定して、次に反発して……「悲しみの5段階モデル」みたいな(笑)。
ーーそして、だんだん受け入れていく……(笑)。
野村:そうですね(笑)。今は受け入れていくフェーズになっていると思います。
ーー映画で考えると、『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』では、マルチバースのスパイダーマンもこの宇宙の人間と同じ姿をしていましたが、本当は物理法則も全然違って、体重が1トンだったりするかもしれないということでしょうか?
野村:そう! その通りです。ただ、ものすごい数の宇宙があるので、確率的にはほとんど僕らと同じような宇宙もあるはず。歴史が少しずつ違って、日本が第二次大戦に勝っていたり、僕が大谷翔平さんだった宇宙もあると思います。そうなると、顔はこのままで野球が上手い僕は、果たして僕と言えるのかという定義の問題もありますが……。だから、あながち矛盾しているわけではないんですよ。
ーーサイコロを何度も振れば同じ目が出るように、私たちとそっくり同じ人間が生まれている宇宙があるかもしれないということですね。
野村:そうです。確率がたとえ0.000001%でも、サイコロを無限回振るので、人間が生まれる宇宙が1個や2個どころじゃなく、ほとんど無限個ある。そして、量子力学というのは、確率でしか結果がわからないんです。例えば、ボールを全く同じ機械で全く同じスピードで投げたら、普通は同じところに行きますよね? でも、実際は少し違っていて、特に電子のような小さいものになればなるほど、全く同じように投げても確率的に違うところに行くんです。だから、電子を発射する直前まで、全て同じ条件の宇宙があったとしても、どこに飛んでいくかは最終結果を見るまでわかりません。結構SFっぽい話ですよね。
ーーサイコロでいうと、1の目が出たのを見た瞬間に初めて「私は1が出る宇宙にいたんだ」とわかるような感じでしょうか?
野村:そうですね。実際にサイコロを投げるときは、手の角度や摩擦など、いろいろな要素があると思いますが、量子力学は根源的に確率なんです。だから、「1が出た! イェーイ!」と言っている宇宙と、2になった宇宙と、3になった宇宙があって、賭け事なんかしていたら、そのあとの未来が大きくズレていっちゃうわけですよね。1が出たら大金持ちになるけど、2と3の宇宙では全然。さらに、1が出て金持ちになった宇宙もいっぱいあって、それらがまた確率で分かれていくわけです。