『だが、情熱はある』は背中を押してくれる作品だった 髙橋海人と森本慎太郎がくれた勇気

『だが、情熱はある』に感謝を込めて

 「出会えてよかった」と思えたドラマだった。これから、自分が“なにもの”になればいいのか分からなくなった時。どこまで走り続ければいいのか……と悩んだ時。きっと、またここに戻ってくると思う。『だが、情熱はある』(日本テレビ系)は、まだまだ“こっから”と背中を押してくれる作品だった。

 思えば、子どものころは、事あるごとに“夢”について語らされていたような気がする。「将来、なにになりたいの?」「叶えたい夢は?」「もっと大きな夢を持ちなさい」なんて言われるたびに困っていたけれど、いま思えばすごく幸せなことだったのかもしれない。

 年齢を重ねると、夢を見ることすらも照れくさくなってくるし、打算抜きに情熱を持ってなにかに取り組むことも少なくなってくる。学生時代は、お金がもらえなくたって、昇進がかかっていなくたって、必死になって“なにか”に励んでいたはずなのに。

だが、情熱はある

 そもそも大人になると、大きな夢を持つことよりも、現実を見据えていることの方が褒められる。というか、いい年齢になっても、全力で夢を追いかけている人を見ると、どこか冷めた目で見てしまう風潮さえある。

 だけど、『だが、情熱はある』を観ていると、「夢を持つっていいな」と素直に思えてくるから不思議だ。人の目なんて、気にしなくてもいい。「自分のなかに燃え上がるものを持っていれば、幸せをつかめるのでは?」と思えてくるのだ。

 本作を通して、オードリーと南海キャンディーズへの愛が増した人も多いのではないだろうか。もちろん、筆者もそのひとりである。山里亮太(森本慎太郎)のちょっぴり情けない部分に共感しては、夢に必死になっている姿に勇気をもらった。そして、若林正恭(髙橋海人)の相方への無垢な愛情。作中の若林はわりとクールに描かれていたが、心のなかでは誰よりも深い愛を持っていて。だからこそ、「本気で言ってたら、お前と一緒に漫才やってねーよ」なんていう台詞が生まれるのだろうなと思った。

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